女王様のご生還 VOL.78 中村うさぎ

男が女を鑑賞して批評するミスコンを「女性差別」と批判する人がいるけど、女だって男を鑑賞するし批評する。



以前にも書いたように、私はオンラインゲームで男キャラを演じているのだが、ツイッターにキャラの写真を載せると、女性たちから「もっと腹筋見せろ」だの「腰のライン出せ」だのと要求されて、「これ、男が女に言ったら、たとえゲーム内でもセクハラだって言われるよな」と苦笑する。

彼女たちはセクハラのつもりなどさらさらなく、非常に屈託なく素直に欲望を口にしているだけだ。

でも、その彼女たちに対して男キャラの私が「ミニスカート穿け」とか「もっと胸の谷間見せろ」なんて言ったら、きっと怒ると思う(笑)。



そもそも「鑑賞」とは差別なのだろうか?

鑑賞するという行為は、対象をしばしば「モノ化」する。

だから差別だと言われるのだと思うが、そういう女性たちだって男を「あの人イケメンよね」とか「腹出てるのが許せない」などと平気で鑑賞し批評するし、外見に限らず学歴や年収などという記号で男をランキングする行為も立派な「モノ化」ではないか。



我々は他者をモノ化しないではいられない生き物ではないか、と思う。

他人にレッテルを貼りつけて類型化し、それで相手を解釈できた気になっている。

性別や職業や外見で他者を決めつけ、その内面の個別性には頓着しない。

かく言う私も、しばしばやらかしてしまって、反省することしきりである。

人は偏見の塊なのだ。



だから、無自覚にそれをやっている人に対して「それは偏見ですよ」と指摘するのは大いに有益だと思うが、自分もまたそれをやっているではないかと顧みることを忘れると、たちまち「私たちはいつも被害者!」という盲目的な他罰に走ってしまう。

最近は特に、自分のことを棚に上げて他者を批判し攻撃する人たちをよく見かけるので、なんだか殺伐とした気分になっている私である。

自分の名前や姿が見えないのをいいことにネットで他人を叩く者たちや、なんでもかんでも差別だと言って独善的な正義を振りかざす者たちのしたり顔ときたら、醜悪なことこのうえない。



他人を叩くのは気持ちいいよな。

正しさって快感だもんな。

でも、そういう自分は何様かしら?

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