女王様のご生還 VOL.175 中村うさぎ

私は協調性がないので団体行動が大の苦手である。

誰かの決めたルールに従うのが苦痛でならない。

納得できるルールなら全然構わないが、少しでもおかしいと感じたら反論するし、それでも無理に従えと言われたらその集団からとっとと離脱する。

私の反論にちゃんと答えてくれるならまだしも、反論すら許さないような集団もいて、そういう「有無を言わせぬ全体主義」が大嫌いだ。

したがって私は、親しい友人との交流はあるものの、何かの組織に属したりはしない。

組織は圧力だからだ。



このところカルト集団の事をいろいろ調べていて、彼ら彼女らが何故カルトにハマるのかをずっと考えていた。

たとえば家族関係がうまくいかなくて行き場のない人たちがこの世にはいる。

そういう人たちが往々にしてカルトにハマるのだが、その気持ちは理解できるし、自分にとって苦痛しかない家族ならさっさと捨てていいと思う。

そして人間というのは基本的に誰かに寄り添いたいという気持ちを抱く生き物だから、家族を捨てたもののひとりで生きていくのが心細く、新しい家族を求めるのもよくわかる。

私たちは生まれてくる時に自分の家族を選べない。

だから成長して家を出れば、今度こそ自分にとって居心地のいい家族をと願うものである。

現に私も「ゲイとの結婚」という形で、自分の生き方に無理のない家族を作ったしね。



新しい家族を作りたいなら、「結婚」がもっとも一般的で手っ取り早い方法だ。

なんといっても小規模なので、意見や価値観が食い違っても調整しやすい。

これが複数のメンバーを抱えるコミュニティだと、人数が多い分、同調圧力が強く働くようになって我慢を強いられたりする羽目になる。

協調性のない私には絶対に無理だ。

しかも、人数が多いと、全体を取りまとめるリーダーが必要になってくる。

私は誰かに強制されたり束縛されたりするのが基本的に嫌いなので、そういう「リーダーのいる集団」の中では間違いなく問題児になるだろう。

それがわかっているから、私はどんなに価値観や考え方が似ていても、決して特定の集団には属さないようにしているのだ。



カルト的な団体に身を投じる人たちは、たいてい「リーダー」を欲している。

リーダーを崇拝し、リーダーに認められる事を名誉と感じる人々だ。

尊敬している人に認められるのが嬉しいという気持ちはわかるが、だからといってその人のために滅私奉公する気になるかといえば、私の場合はNOである。

だって、その人も所詮は人間じゃん。

いつも正しいはずがないし、欠点もたくさんあるに決まってる。

盲目的に信頼して絶対服従するなんて、できっこないよ。

そう、「絶対的な人間」なんてこの世には存在しないんだ。

「絶対的正義」がないようにね。



カルトのリーダーは、おそらく最初の頃はなかなかいい事を言ったりするんだろう。

その言葉や人柄に感動するからこそ、人が集まって来るのだ。

だが、リーダーも人間だから必ず間違える。

そして間違った時にちゃんと自分の非を認めるかどうかが、リーダーの人間性を問うチャンスだ。

変な言い訳をしたり、奇妙な理屈を並べて論旨をずらしたり、あるいは逆ギレして権力を振りかざしたりしたら、そいつはたちまち化けの皮が剥がれる。

カルトのリーダーはたいていナルシシストだから、滅多に自分の非を認めない。

信者たちにチヤホヤされているうちに自分を絶対的な存在だと勘違いしてしまうのだ。

「集団」の怖さはそこである。

一人や二人からチヤホヤされたくらいで、人はそう簡単に己惚れない(己惚れる人もいるけどw)。

だが、大勢の人間からチヤホヤされると、どんどんナルシシズムが肥大し、万能感を持ってしまうのだ。 

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