言うまでもないが、「幸福」とは個々人の主観である。
他人が何と言おうと、本人が「幸福だ」と感じていれば、その幸福を誰にも剥奪する権利はない、と私は考えている。
たとえば、傍目にも酷い男に騙されて貢がされてる女がいたとして、本人が「苦しい! 逃げたい!」と思うのであれば他人が手を貸すのは全然OKだが、本人が頑なに「これでいいの! 私は幸せなんだもん!」と言うのであれば、他人には何も言えないし何もできないのだ。ましてや、彼女をその男から無理やり引き離す権利など誰にもない。
私は以前、ホストに騙された。そりゃもう周囲からいろいろ言われたが、それでもその時の私は「騙されたっていい! だって素敵な夢を見てるのよ!」と思っていた。彼には相当額を貢いだが、今でもそれは後悔してない。
こういう場合は本人の目が醒めるまで、何を言っても意味ないのだ。
先日、佐藤優氏が対談本の中で「愚行権」というものに言及していて、それがなかなか面白かった。佐藤氏の発言によると、人間には「他人に迷惑をかけない限り」において、どんな愚行でもおかす権利があると言うのだ。
私のように数々の愚行をおかしてきた者には、非常にありがたい権利である。
そして私も「愚行権」という言葉こそ知らなかったものの、他人に害が及ばない限り、どのような愚行も許されると思って生きてきた。
実際、その愚行のおかげで現在の私があると言っても過言ではない。
愚行には、それなりの効用もあるのだ。
冒頭に言ったように、「幸福」とはあくまで当人の主観である。
私の場合、ホストに騙されようがブランド物に金を注ぎ込もうが、自分が経済的に逼迫するだけで誰にも危害は与えてないし、しかも当人はその時楽しくてたまらないのであるから、「幸福権」と「愚行権」を大いに行使していたと言えよう。
なので「私が幸せなんだからいいじゃん!」という理屈が成立するわけだ。
だが、この「幸福権」「愚行権」について考える時、私がどうしても突き当たってしまう壁がある。
それは「援助交際」および「男に言いくるめられて売春してる(ように傍からは見える)」女性たちのことだ。
私自身は売春を「愚行」とは思わないが、世間的に非難される行為であることは間違いないので、ここではあえて「愚行」のひとつと考えることにする。
売春は「被害者なき犯罪」と言われている。
「強制売春」はもちろん論外だが、一人前の女性が自分の意志で風俗業を選択し、なおかつ「嫌なのにやめられない」状態でなければ、誰に迷惑かけてるわけじゃなし、本人の自由ではないかと私は考える。
たとえその動機が「スカウトマンみたいな男と恋愛関係になって彼のためにやってる」という、傍から見ると「あんた、騙されてるよ!」的な状況であっても、本人が幸福ならいいじゃないかと思うのだ。
本人は、好きな男に喜んでもらえれば、それで幸せなんだよ。
バカかもしれないけど、そこはほら、例の「愚行権」ってやつでしょ。
ただ、それが17歳以下の未成年であった場合、また、本人にごく軽度の知的障害があって「騙されやすい」タイプであった場合、その「幸福権」「愚行権」は適用されるべきなのか。
この問題に、私は突き当たるわけである。