女王様のご生還 VOL.161 中村うさぎ

映画「愚行録」の謳い文句である「三度の衝撃」のうち、ふたつは前回ネタバレした。

まずは「一家惨殺事件の真犯人は主人公の妹であった」という事実。

二番目は「週刊誌記者として事件を追っていた主人公が唐突に取材相手を撲殺する」シーン(これには私もかなり驚かされた)。



で、いよいよ今回は「三度目の衝撃」のネタバレである。

ネタバレされたくない人は読まないでくださいね(汗



妹が真犯人だったという事実が観客に暴露された後、「ところで、妹が産んだ子供の父親は誰なのか?」という疑問が浮上する。

妹は小学生の頃から父親の性的虐待を受けていた。

そこで妹の弁護士は「もしかして彼女の父親が孕ませたのでは?」と考えるが、この推理にはさすがに無理がある。

何故なら父親は十年以上も前に娘への性的虐待がバレて、息子(当時中学生だった主人公)からボコボコに殴られて家を出たからである。

もし妹の子供が彼の子だったとしたら、妹はその後も父親と逢瀬を重ねて性的関係を続けていたということになるが、その可能性は限りなく低い。

父をボコボコに殴って追い出した兄をヒーローのように語る彼女を見る限り、彼女にとって父とのセックスは地獄であり、そこから救ってくれた兄は輝かしき正義の味方なのだ。

ならば、その後も父と会って関係を続けるなんて考えにくい。



では、彼女は誰の子を産んだのか?

例の一家惨殺事件の被害者である男なのか?と、私はチラッと考えたりもした。

彼の妻は大学時代の同級生で、彼女を金持ちボンボンたちのセックス相手として斡旋した性悪女だ。

その女が何事もなかったかのように、夫や娘に囲まれて幸せそうな家庭を築いている。

その姿を街で見かけて恨みや嫉妬や羨望がこみあげてきて殺した、というのが作品内で語られる動機ではあるが、前回も書いたように、どうもそれは殺しの動機として説得力が薄い。

むしろ、彼女の夫と知りつつ復讐の感情も込めて性的関係を結ぶ方が、このキャラクターならやりそうなことである。

ヒロイン(妹)は「空っぽの器」だ。

こういう人はしばしば他人の物を手に入れることで、自分の欲望を満たしたような気分になる。

「幸福な妻、幸福な母」になりたかったヒロインは、大学時代に羨望を抱いていた女友達が手に入れた「夢の家庭」を欲しがるだろう。

そして、その夫が女たらしであれば(実際にそうなのだが)、自ら進んで誘惑に乗るに違いない。

ところがその男は、彼女が妊娠すると逃げてしまう。

彼女は「夢の家庭」を手に入れるどころか「不幸なシングルマザー」になってしまい、その怒りと絶望が彼女を一家惨殺へと導く……これなら、多少は筋が通りそうだと思ったのだ。



ところが、そうではなかった。

彼女が産んだ子供の父親は、例の「兄」だったのだ。

父親のレイプから救ってくれた兄との間に恋愛感情が生まれ、父子相姦から兄妹相姦へと移行した挙句に、実の兄の子を産んだ、というわけだ。

なるほど。

しかし、この兄と妹の間には、本当に「愛」が存在したのか?

妹の方は自分を守ってくれた兄を慕い、それが恋愛感情に発展したかもしれない。

でも、兄は?

彼は妹を愛していたのか?

もし愛していたのなら頻繁に母子の様子を見に来ただろうし、早い時期にネグレクトにも気づいて手を打ったはずだ。

だが、ネグレクトは誰にも気づかれず手遅れになるまで放置された。

つまり、兄は妹にも我が子にも距離を置いていたのだ、ということになる。



そう、この兄は妹を愛してなどいなかったのである。

父を追い出した後、父に代わって妹の肉体を貪っただけだ。

中高生の男子といえば「やりたい盛り」だ。

愛だの恋だのより性的欲望が優先される。

まさにその年頃だった彼は妹に己の欲望を放出し、「空っぽの器」である妹もまた喜んでその欲望を我が身に受けた。

彼の欲望を注ぎ込まれて、妹は自分が「必要とされている」「愛されている」と実感し、その喜びを「恋」だと思った。

「お兄ちゃんがいるから生きていける」と思ったのだ。

正確には、「お兄ちゃんが求めてくれるから私はどうにか自分の存在価値を確認できる」ということなのだが。



兄の子を妊娠した時、彼女は嬉しかっただろう。

大好きな兄と、彼との間にできた子供と、三人で幸せに暮らす光景を夢見たかもしれない。

が、兄にとって、その子は「愛の結晶」ではなく「罪の結晶」だった。

彼は恐れおののき、妹から距離を置き、我が子の様子を見に訪ねることもしなかった。

その結果、妹は我が子をネグレクトして死なせてしまった。

その子が死んだ時、彼は心の片隅でひそかにホッとしただろう。

自分の罪の証拠がこの世から消えたわけだから。



それにしても、この主人公はいったいどういう人物なのか。

妹を父のレイプから救ったヒーロー(あくまで妹視点)でありながら、その妹を自分の性の器にした。

そして妹が孕むと、距離を置いて知らんぷりを決め込んだ。

妹が我が子をネグレクトする以前から、彼は母子をネグレクトしたのだ。

彼からの愛も欲望も注がれなくなった妹は「空っぽの器」に戻ってしまった。

それでも我が子が自分を必要としてくれればまだその杯は満たされただろうに、その子は何故か母親を求めない子供であった。

近親相姦による悪影響で、何らかの発達障害だったのかもしれない。



せっかく愛する兄の子を産んだのに、兄は自分から離れて行き、産んだ子にも何の愛情も注いでくれない。

そんな我が子が、彼女の目には「空っぽなガラクタ」に見えたかもしれない。

なんだ、子供なんか産んでも幸せになんかなれないじゃん。

誰も必要としないこんな子に、何の価値があるの?

だって、誰かに必要とされて初めて、「生きる価値」が生じるんでしょ?

私だって、こんな空っぽな子、いらないわ。

記事の新規購入は2023/03をもって終了しました