女王様のご生還 VOL.126 中村うさぎ

連休のため2週間のご無沙汰でした。

先日の「メルマガオフ会」にご来場くださった皆様、ありがとうございました。

時間切れで回答できなかったご質問にお答えします。



「うさぎさんは何年も前からエッセイの中で、男子が女性化すると予想されていました。

そして本当に現在、特に若い男性が女性化しています。

うさぎさんはなぜ男性が女性化していくとわかったのでしょうか。

また男性が女性化することに、うさぎさんは賛成ですか?反対ですか?」



私が何年も前から男性が女性化すると予想していた根拠は、主に「ジェンダーの崩壊」です。

「男らしさ」「女らしさ」などという、どこの誰が決めたのか知らないけどくだらない性差は明らかに差別と抑圧に繋がるので、そのうち消えてなくなるだろうと思っていました。

だって、そんなの現代社会には不要でしょ?

男とか女とかである以前に、我々は自分らしくありたいと願う。

その「自分らしさ」が本来の性別のイメージにそぐわなくても、それが自分ならべつにいいではありませんか。

オカマは仕草も口調も男らしくないけど、本人にとってそれが自然なら、そのまま振る舞えばいい。

同性愛者に限らず、「男らしさ」「女らしさ」の縛りのせいで自由に生きられないと感じる人は、性差なんてとっとと放棄していいと思うのです。



まあ、この「ジェンダー崩壊」はフェミニズムの人たちがずっと以前から言っていたことですし、私がひとりで思いついた考えではありません。

ただフェミニズムに触れるよりずっと前の中高生時代から、私は「女らしくしなさい」的な説教が胡散臭くて大嫌いでした。

そもそも女子校だし、共学なら男子生徒が担うような役割もすべて女子でこなしていましたから、あんまり「男だから」「女だから」といった感覚がなかったのだと思います。

なので高校卒業後、京都の共学の大学に進学して男子学生たちから「女らしくない」「女のくせに」的な批判を立て続けに受けた時には面食らいました。

そんな台詞は中高時代、男友達からも言われたことがなかったので、「関西人は保守的なんだなあ」と思ったものです。

そういう意味では横浜の方が関西よりフェミニズムが浸透していたのでしょうし、特に女子校出身者はジェンダー差が希薄だったのでしょう。

大学の頃、同じ同志社大学の男子学生たちが東京の男子学生の言葉遣いや態度を「なよなよしてて気持ち悪い」と評していたのを覚えています。

ここにも「ジェンダー意識」の強さが見て取れますね。



ただ、当初のフェミニズムは「ジェンダーの崩壊」を「女がもっと男に近づくこと」と捉えていたように思います。

「性の解放(女は貞淑であるべしという縛りからの脱却)」や「女性の社会進出」などは「男と肩を並べる」ことを志向していました。

それはそれで結構なのですが、私はこの「男女平等=女性の男性化」という図式にも違和感を覚えていて、あくまで自分らしくあることに固執していました。

「女性の男性化」をフェミニズムと捉える人たちは、女性が化粧したり高いヒールやウエストをきつく締めた服で体を傷めつけることも「男目線の内在化」と捉えて批判していましたが、私は着飾るのが大好きだったので高いヒールも窮屈な服も好んで着ていました。

それは「私の嗜好」の問題であり、それを批判されることは「女らしくあれ」という抑圧と同様、私の自由を剥奪する圧力と感じていたのです。



確かに男性に都合のいい「女性らしさ」なんか押し付けられるのは真っ平でしたが、「着飾る愉しみ」は何も女性だけの習性ではない。

男だってもっと着飾っていいはずだし、服装の面から言えば女性より男性の方が遥かに抑圧されているように思えました。

だって女はスカートもパンツも穿けるけど、男はスカート穿いたら笑われるんだよ?

ブローチやネックレスも「女装」とみなされるし、帽子も髪型も限られるし、何より化粧もバカにされる。

従来のフェミニズムでは「男は男性優位社会に胡坐をかいて自由に振る舞っており、女を性差によって一方的に抑圧している」という考え方でしたが、「男の方が女よりジェンダーに抑圧されてるんじゃないか?」と私は考えるようになっていました。

ファッションだけではなく、夫婦の役割も同じです。

女が男に養ってもらっても単なる専業主婦と見なされるだけだが、男が女に養われると「ヒモ」という侮蔑的なレッテルを貼られる。

なんで男が女を養わなきゃいけないの?

どっちでもいいじゃん、そんなの!

働きたい方が働きゃいいのであって、そこに性別なんか関係ないっしょ。

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