女王様のご生還 VOL.134 中村うさぎ

月に一度、同志社大学東京サテライト校にて、佐藤優氏と一緒に「カフカの『城』を読む」という内容の講義をしている。

先週は佐藤氏の提案で、園子温監督の映画「恋の罪」を講義内で取り上げた。

この映画の中に、カフカの「城」が重要なモチーフとして登場するからである。



さらに、この映画は「東電OL事件」を題材にした作品だ。

私が「東電OL事件」に並々ならぬ関心を持っていることを知っていて、佐藤氏はこの映画を取り上げようと提案してくれたのだろう。

つまり私に熱弁をふるうチャンスを与えてくれたわけで、そして私も調子に乗ってやり過ぎなほど熱弁をふるってしまったのであるが、途中からものすごく孤独な気分になってしまった。

何故なら、熱弁をふるっている最中に、私の言葉は受講者や学生にまったく共感されてないなと感じたからだ。



「東電OL事件」は、1997年の事件当時、多くの女性たちに「東電OLは私だ!」と震え上がらせた事件である。

男女雇用均等法が施行されたおかげで「女性総合職」第一期生となった彼女は、まさに「男女平等社会」の夜明けを象徴する存在だった。

もう女性だからといって職場で不当に差別される時代は終わり、女性たちに前途洋々たる未来が開けた……はずだった。

なのに、その最先端を走っていた彼女が旧態依然の男性優位社会の中で壊れていき、「昼間は一流企業のエリート社員、夜は渋谷のラブホテル街に立って客引きをする売春婦」という二重生活を送り続けた結果、最終的には廃屋の中で他殺体として発見されたのだ。

彼女が何故そんな二重生活を送るようになったのかはいまだに謎だが、私も含めて多くの女性が「わかる気がする!」と心の奥底を揺さぶられたような気分になったわけである。



だが、今は時代が全然違う。

私たちがあの時代に何を獲得し何を失ったのか、一朝一夕では変わりようもないしぶとい男性優位社会の中で女が戦うということはどんな犠牲を必要としたのか……そんな話を延々とされても、現代の若い世代がピンと来ないのも無理はない。

私は話している途中で、戦後生まれの孫たちに懸命に戦時中の苦労話をしているお婆ちゃんのような気分になってしまった。

要するに、これ、ただの老人の繰り言じゃないのーーっ!?

「あんたら、今はそんな綺麗な服着て歩けるようになったけど、戦時中はみんなモンペ穿いてたんやでー」みたいな。

「だから何よ? 戦争はとっくに終わったんだよ、婆ちゃん」と、孫たちは心の中で思いながら聞いているに違いない。



ち、違うのおおおーーーっ!!!

私はね、べつに苦労話を聞かせたいわけじゃないのよーー!

昔も今も、女たちが人生で何かを選択するたびに味わう喪失感、「あの時に選ばなかった自分」に復讐され続けているような無念、そして、どこまで成功しても拭えない敗北感……それを伝えたかったの!

がむしゃらに走ってきて、ふと立ち止まり、「あたし、何のために生きてきたんだろう?」と茫然とする、あの感覚を説明したかったのよ!

なのに、ただのババアの昔話になってしまった。

それは私の話術の至らなさであり、そもそも私は人前で喋る仕事が向いてないのかなと、暗澹たる気持ちになってしまったわけである。

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