女王様のご生還 VOL.143 中村うさぎ

今週の「うさぎ図書館」で取り上げた「ガブリエル事件-奪われた小さな命-」の中のインタビューで、ある人物(誰か忘れた)が死刑についてコメントしていた。

ざっくり要約すると、こういう事だ。



「アメリカはどんな人にもチャンスを与える慈悲の国であると同時に、死刑制度を未だに維持してもっとも死刑判決を多く下す報復の国でもある。これがアメリカという国のジレンマなのだ」



確かにアメリカは「報復」の国である。

だが、それはアメリカが「正義」を信じる国だからだ。

正義を信じる者は、不正に対する報復を望む。

アメリカにおける「機会均等」の平等精神もまた、「慈悲」というよりは「正義」として捉えられていると思う。

だから、これはジレンマではない。

自由と平等を「正義」と考える国民ならではの「報復」気質ではないのか。

正義は報復を正当化するからだ。



私は「絶対的正義」など存在しないと思っている。

何故なら「正義」などというものは文化や世界観によっていくらでも変化する流動的なものだからだ。

人殺しは「悪」だとみんなが信じているのに、戦争となるとたちまち大量殺戮が正当化されて「正義」となる。

そんなかよわい正義など信じて何になるのだ。



「ガブリエル事件」に触発されて立ち上がった人々のデモでは、「ガブリエル君に正義を!」と書かれたプラカードが高々と掲げられていた。

そりゃ私だってガブリエル少年に酷い虐待を加えた母親とその彼氏に怒りを感じるし相応の罰を望むが、「正義を!」という文言にはかなりの違和感を覚える。

「報復」は「正義」なのか?

違うだろ、「報復」は「報復」だよ。

それ以上でもそれ以下でもない。



念のために言っておくが、私は「報復」自体を否定しているのではない。

「報復」を「正義」とみなすことに抵抗を感じるのだ。

人間は「報復」大好きな生き物である。

それはアメリカだけじゃなく、全人類の習性だと思う。

たとえば「ゲーム・オブ・スローンズ」というドラマが大ヒットしたが(私も大ファンでした)、あの長いドラマの中でもっともカタルシスを味わえるハイライトシーンはどれも「報復」シーンだ。

他人を平然と痛めつけたり裏切ったりする悪党が痛烈な復讐を受けるシーン……長らくそいつに怒りを募らせてきた視聴者たちはその劇的な報復シーンに高揚し、脳内に快感物質がドバドバと分泌されるのを感じる。

これぞ「カタルシス」!

怒りと欲求不満が募り募って限界に差し掛かった時に、そいつの脳天にズバーンと復讐の鉄槌がぶち込まれる瞬間こそが我々の脳をもっとも興奮させるのである。

だが、間違えるな。

それはあくまで「報復の鉄槌」であって、断じて「正義の鉄槌」ではない。

気持ちいいけど、それは「正義が果たされた」カタルシスではなく、憎むべき相手に相応の苦痛を与えられたという「ざまぁみろ」的カタルシスに過ぎないのだ。

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