女王様のご生還 VOL.153 中村うさぎ

最近、母は時折、失禁するようになったらしい。

そうなることは想定内だったので父に電話した時に確認したところ、ものすごく言いたくなさそうな重い口調で「まあ、時々な」と肯定した。



「じゃあ、オムツにした方がいいんじゃない?」

「うん、まぁ、そのうちな」

「問題はお母さんが素直にオムツを穿いてくれないことだね」

「ああ、難しいだろうな」



明らかに耳が遠いのになかなか認めず「老人くさいから嫌」と頑なに補聴器を拒否し続けた彼女がそう簡単にオムツを穿いてくれるとは思えない。

オムツなど補聴器よりもさらに屈辱的だろう。

問題は、彼女に失禁の自覚がないことだ。

自分が失禁したなどという受け容れ難い事実は徹底的に否定され、記憶からも速やかに消去される。

失禁した記憶がなければ、オムツなんて羞恥プレイでしかない。



一方、娘である私はもう既に5年以上もオムツ愛好者だ。

病気で入院していた頃に自力でトイレに行けなかったのでオムツをするようになったのがきっかけだが、今では人並みにトイレに行けるようになったというのに、あまりにも便利でオムツが手放せない。

もともと消化器が弱くてすぐに腹を下すので、オムツを穿いてると安心だ。

昔は布の量が極端に少なく薄い生地のパンティを好んで穿いていたが(役にも立たないレースとかついたやつなw)、今となっては「なんであんなモノ穿いてたんだろう? べつに人に見せるわけでもないのにさ。実用性からいえばオムツが一番だよ!」と本気で思っている。

オムツ万歳!



だが、幸か不幸か、母はオムツの世話になった経験が一度もないので、オムツの素晴らしさを知らず、むしろ「恥ずかしいもの」と考えているのだ。

まあ、世間的には、私よりも彼女の方が一般的だろう。

しかし老人はいつかオムツに切り替えることになる。

認知症はもちろんだが、それ以外にも、加齢による筋力の低下で肛門や尿道の括約筋が緩むからだ。

起きている時には何とかなっても、睡眠中に漏らしてしまうこともある。

だから遅かれ早かれ、オムツは必需品となる。

しかし、たいていの老人たちは私の母のようにオムツに抵抗があるだろう。

それは自力で排泄をコントロールできないということを意味し、まるで自分が赤ん坊同然の無力な存在のように感じられるからだ。

それは彼ら彼女らに耐えがたい屈辱感を与える。

「おまえはもう人間として半人前だ」という宣告を受けたかのように。



私があの謎の大病をして死にかけたり身体のあちこちが不自由になったりした経験は、ある意味、人生の早い段階で「老化と死」という必然の未来を疑似体験させてくれたと「僥倖」とも言えるかもしれない。

何故なら私はあの病気で倒れる直前まで、美容整形や若作りファッションという手段を駆使して誰よりも老化に抗っていたからである。

誰でも老化には抵抗すると思うが(でなければ、あんなにも美容関連商品や健康商品が売れるはずがない)、私の足掻きは人一倍だった。

そんな私が病気によってオムツ生活を余儀なくされ、身体のあちこちが急速に衰弱し機能不全となって、一気に「老人」気分を味わう羽目になった。

最初はその無力感や不全感に絶望し悲嘆にくれたものだが、今となってはすっかり開き直って、杖をついてよろよろと歩きながら「はいはい、老人が通りますよー」状態になっている。

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