[歴史発想源] <武心の源流・幕末日野篇> 第八回:神奈川県から東京府へ「日野町誕生」

明治維新を迎えて新政府が誕生し、新選組をはじめ旧幕府軍の人間が逆賊のレッテルを貼られる時代となるも、幕府に楯突いた人間ながら政府からも住民たちからも信頼され、南多摩郡の初代郡長、そして初代日野町長と多摩地方の要職を歴任していく佐藤彦五郎。

いまや時代劇やアニメなどの題材としても多く使われ、国民的人気を誇る新選組。その人気の陰には、近藤勇や土方歳三の頼れるアニキ・佐藤彦五郎による、逆賊の汚名を着せられた新選組名誉回復への大きな尽力がありました。

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新選組の活躍と並行して幕末時代の多摩地方を描いていく「幕末日野篇」、第五回をどうぞ!

▼歴史発想源「武心の源流・幕末日野篇」〜佐藤彦五郎の章〜

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【第八回】神奈川県から東京府へ「日野町誕生」

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■朝敵となった新選組の名誉を回復するために

神奈川県の一地域として発足した南多摩郡の初代郡長に就任した人物として記録されているのは、佐藤俊正という人です。

この佐藤俊正こそが、復帰に際して改名した、新選組のスポンサーであった佐藤彦五郎です。

前回述べたように、徳川幕府の直轄地であった多摩地方では、明治維新のことを「維新」と呼ばずに、お上の幕府が倒れた「瓦解」と呼びます。

多摩地方にとって良き時代が「瓦解」した今、この「瓦解」後の日野宿を立て直せるのは佐藤彦五郎しかいないと日野の人々は考え、また新政府も日野を任せられる人物は彼しかない、と考えたのです。

佐藤彦五郎は、日野の人民たちの要望に応え、憎き新政府の下で行政に従事することになります。

初代南多摩郡長となった佐藤彦五郎は、多摩地方をよく治めて住民たちからも慕われ、政府からも厚い信頼を得ました。



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