女王様のご生還 VOL.125 中村うさぎ

昨日配信の「うさぎ図書館」で、私は「芸術には何の実用性もない。そんなものをありがたがるのは人間だけだ」的なことを書いた。

ここのところずっと、「人間は何故、種の保存にも個の保存にも関係のない『美』などに価値を置くのだろう?」と考えているのだ。

じつにどうでもいいテーマである(笑)。

でも、気になって仕方ない。



人間ならずとも美に反応する動物はいくらでもいるだろう、という意見もあるかもしれない。

一部の鳥は美しい羽毛でメスを魅了するではないか、と。

だがオスの羽毛の色鮮やかさでメスが交尾の相手を選ぶのは、必ずしも「美」の観点ではない。

羽毛の鮮やかさはオスの健康状態を表しているので、メスは病気や寄生虫に強い遺伝子を選ぶためにオスの羽毛を鑑定しているのだ。

だが、人間はどうだ?

美女やイケメンは確かに「容貌の美しさ」を遺伝子に持つだろうが、彼ら彼女らが健康かどうかはわからないし、知性や運動能力といった重要な特性を持つとは限らない。

見惚れるほどのイケメンの子を産んだとしても、頭が悪かったり虚弱だったりしたら生物的には何の意味もない。

彼の美しさは「芸術」に似て、ただの観賞用なのだ。



そう、この「美の鑑賞」という趣味こそが人間ならではのものである。

海に沈む夕陽の輝きに見惚れる動物なんて人間以外にはいない。

彼らにとってその光景は単に「夜の訪れ」以外の意味を持たないのだ。

だが人間はわざわざ沈む夕陽を見に海辺を訪れたりする奇妙な生き物だ。

時には感動のあまり涙ぐんだりもする。

じつにおかしな習性だ。

ただの夕陽に何故そんなに感動するのだ。



素晴らしい絵画を観た時の震えるような衝撃、美しい音楽を聴いた時の天にも昇りそうな恍惚……その瞬間、我々の脳内には間違いなく快感物質が出ている。

人間の脳は「美」に快感を得るようにできているのだ。

だからこそ「芸術」などという生存戦略にまったく意味を持たない娯楽を発達させ、なんならそれを個や種の保存よりも優先する。

でも何故、人間の脳はそんな風に「美」に特別に反応するようになったのだ?

そこには生物的な意味は何かあるのか?



おそらくあるのだろう。

快感物質の分泌は何らかの「報酬」であるケースが多い。

たとえば我々は「達成感」に強烈な快感を覚えるが、何事かを達成するのは生物にとって重要な仕事であるから、この「達成感」というご褒美は理解できる。

達成感がなければ、人間は発明やら発見やらのためにあんなに努力はしないだろう。

今ある文明はみんな、この「達成感」という快感のおかげである。



では、「美」にあんなにも大量の報酬が出るのは何故か?

史上最高の絵画や音楽を鑑賞したからといって、それが何の役に立つ?

美しい夕陽に感動すれば一生の思い出にはなるだろうが、次の世代がその記憶や感動を受け継ぐことはない。

ただの個人的な思い出だ。

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