女王様のご生還 VOL.236 中村うさぎ

薔薇戦争の陰で暗躍した女たちを取り上げているが、今回はリチャード3世の妻アン・ネヴィルに焦点を当てたい。



シェークスピアの「リチャード3世」には、アンがリチャードに口説かれる印象的なシーンがある。

当時、アン・ネヴィルは未亡人であった。

赤薔薇のランカスター家と白薔薇のヨーク家が王位を巡って殺し合った薔薇戦争で、彼女は夫であるエドワード王太子(ランカスター家)を失ったのだ。

その悲しみに暮れる彼女にリチャードが忍び寄り、美辞麗句で口説き始める。

最初、彼女はにべもなく拒絶し、ナイフを出して「あなたは私の夫と舅を殺した憎き仇」と罵る。

が、リチャードの言葉に次第にほだされ、最終的には彼の愛を受け容れるのである。



大作家シェークスピア様には申し訳ないが、私はこのシーンがどうしても腑に落ちなかった。

あんなに激しい敵意を剥き出しにして拒んだ女が、美しい口説き文句に耳を傾けているうちにうっとりしてきて、ついには仇敵である相手を愛してしまうなんて、そんな事があり得るだろうか?

いくらなんでもチョロ過ぎだろ、アン・ネヴィル!

確かに男から甘い言葉で口説かれるのは気持ちいい。

だが、それは相手に好意を持っている場合である。

心から憎んでいる相手からどんなに美しい言葉を囁かれても、それでコロリと落ちる女なんていないと思う(たぶん)。

このくだりは、シェークスピアが女をナメているとしか思えず、私の中で長い間引っ掛かっていた。



だが、アン・ネヴィルが夫エドワード王太子亡き後、リチャード3世と結婚したのは紛れもない事実である。

当時の王侯貴族の結婚はほとんど政略結婚であるから、愛などなくても利があれば仇敵とすら結婚するのはあり得る事だが、このリチャード3世とアン・ネヴィルとの結婚は必ずしも普通の政略結婚ではなかった。

何しろアン・ネヴィルは、ヨーク家を裏切ってランカスター家に寝返った奸臣ウォリック伯の娘。

その元夫はこれまたヨーク家の仇敵ヘンリー6世の息子だ。

いくら財産があったとはいえ、そんな娘を妻に娶るなんてとんでもないと、リチャード3世の周囲は目を剥いたに決まっている。

ちなみにリチャードの兄ジョージの妻イザベルもまたウォリック伯の娘にしてアン・ネヴィルの姉であるが、この二人の結婚はウォリック伯がランカスターに寝返る前だったので、リチャードとアンの結婚ほど問題視されなかったと思われる。



では、リチャード3世とアン・ネヴィルは何故、こんなにも不評を買う結婚をしたのだろうか?

長兄エドワード4世のように、周囲の反対を押し切ってまで結婚するほど熱烈な恋に落ちたから?

そう、少なくともリチャードの方はアンに恋していた可能性がある。

そもそもウォリック伯はヨーク家の重臣だったため、その娘(イザベル、アン)とリチャードたち三兄弟(エドワード、ジョージ、リチャード)は幼馴染みの間柄であった。

リチャードはその当時からアンに対して恋心を抱いていたのではないだろうか。

初恋の相手をいつまでも理想の女として心に抱き続ける男は珍しくない。

リチャードもそういうタイプの男だったのかもしれない。

だが、己の容姿に対するコンプレックスから、なかなか告白する踏ん切りがつかなかったのだろう。

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