女王様のご生還 VOL.180 中村うさぎ

ぼやぼやしてる間に今年も終わりに近づいてきた。

でも年が変わったからといって何が変わるわけでもなく、また同じような一年が繰り返されるだけだろう。

昨日と同じ今日、今日と同じ明日。

似たような毎日がずっと続くのだとしたら、時を計る意味ってどこにあるんだろう?

2020年が2021年になったところで、私にとっては何も変わらないじゃないか。



人が「時間」という概念を数字で計測するようになったのは、おそらく未来の予定を立てるためであろう。

今日これをやった結果が明日には出るだろうとか、明後日のためにあれをやっておこうとか、未来を予測し期待するからこそ人は時間を計り日を数えるのだ。

つまり、時間を計る行為は変化を前提にしている。

今日と同じ明日、明日と同じ明後日が繰り返されるだけの毎日なら、時間など関係ない。

そして「時間が関係ない生活」を送るようになると、人はただひとつの終着点である「死」に向かって緩慢に漂い流れていくだけの存在となる。



大晦日のカウントダウンや元旦の初詣などを見ていると、「これがなかったら、みんな、年が明けた気がしなくて不安なのかなぁ」と思ったりする。

何らかの儀式を必要とするということは、それをやらないと「時間の流れ」を実感できないということだ。

現に今の私のように「時間が関係ない生活」を送るようになると、大晦日も正月も意味を失う。

おそらく人はそれを無意識に恐れているのだろう。

時間が意味を喪失するということは、未来が変化をもたらさなくなり、したがって未来への希望や期待も生まれないまま、確実な「死」という未来だけが待ち構える毎日を過ごす羽目になるからだ。



だが、年末年始をどう過ごそうが、人はいつか必ず死ぬのである。

「未来に期待する」ということは、「死」を先延ばしにしたいという気持ちに他ならない。

「明日死ぬかもしれない」と思っていたら、どんな計画も立てられないからね。

「死なない前提」だからこそ、みんな未来の計画を立てるんでしょ?

でも、三日後に会う約束をしていた相手がそれまでに死んでしまう可能性はあるし、自分が死ぬ可能性だって大いにある。

我々は自分がいつ死ぬかまったくわからないまま生きている。

そのくせ、いや、だからこそ、か。

未来の計画を立て、明日の約束をすることで、「5分後に死んでるかもしれない」という可能性を塗りつぶしていくのである。



こんなことを考えるのは、べつに最近のことではない。

昔から年明けに「今年の抱負は?」と訊かれるのが大嫌いだった。

「明日死ぬかもしれないのに、そんな遠大な抱負なんか持つ気ねーよ」と思ってしまうからである。

本当にバカバカしい質問だといつも感じていた。

なんで年が明けるたびに「抱負」なんか語らないといけないの?

みんな、本当に「抱負」なんかあるの?

年が明けるたびに「今年はあんなことをしよう、こんな一年にしよう」なんて、いちいち考えるの?

そんなに未来を、そして自分を信じてるの?

だとしたら、ある意味、凄いよ。

私は「今年の抱負」なんて、ギャグでしか言えない。

たとえば「今年はセックスしまくるぞー」とかね。

本気で言ってないから何でも言えるわ(笑)。

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