女王様のご生還 VOL.68 中村うさぎ

父の宗教観についてあまり話したことがなかったので、てっきり彼は他のクリスチャンと同様に「キリストの復活」だの「キリストの起こした奇跡」などを信じているのかと思っていた。

だが今回、母の介護の話題をきっかけに宗教観にまで話が及ぶと、彼の語る「キリスト教に対するスタンス」は、私のそれとあまり変わらないのだった。



キリストが起こしたとされる数々の非科学的な奇跡……たとえば水の上を歩いたとか、死者を蘇らせたとか、障碍者や病人を触れただけで治したとか、そのようなエピソードは一切信じていないと言う。

もちろん、私もそのような逸話はすべて、弟子たちがキリストにハクをつけるために言いふらしたデタラメだと考えている。



また、どう考えても理不尽なこの世の不幸についても、それを「神の深遠なるご計画」と解釈するのは「思考停止である」とまで言い切った。

私もそれにはまったく同意見だ。

それが神の計画だとしたら、少なくとも神には「説明責任」があると思う。

突然の事故や憎むべき犯罪によって我が子を亡くした親に、せめて理由くらい説明すべきじゃないのか。



人間は、理由を求めずにいられない生き物だ。

すべての事象に何かしらの理由を見つけて、そこで初めて納得する。

ましてや、それが不幸な出来事であればなおさらだ。



何故、私の愛する子どもが死ななくてはならなかったの?

どうして、私がこんな病気に罹ったの?

こんな不幸が私に降りかかったことには、何か意味があるの?



人はそれを問わずにはいられない。

スピリチュアルや宗教が人の心を捉えるのは、そのためだ。

それがご先祖様の悪事のツケであろうと、神の罰であろうと、何でもいい。

理由が欲しいんだ!

理由がないと、自分の中で決着がつかないと、私たちは前に進めないのだ!



もし神が存在するなら、何故、その問いに答えてやらないのだ?

深遠な計画とやらがあるのなら、せめてその一端だけでも示してくれてもいいじゃないか!

なのに神は常に沈黙したままだ。

それは、私にとって、明らかに「神の不在」を物語っている。



父と私は同じ疑問を抱いていながら、まったく逆の道を選んだ。

父は神をより知りたいと信仰の迷路に入り、私は神を棄てて別の迷路に入った。

「自分で考える」という迷路だ。

どちらも複雑な迷路だ。

そしておそらく、どちらの迷路にも出口はない。



父と私はとてもよく似ている。

二人とも、答がないことを知りながら、それでも自分なりの答を探して、迷路をぐるぐるとさまようのが好きなのだ。

そう、これは我々の趣味なのである。

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