女王様のご生還 VOL.213 中村うさぎ

私はかねがね、自分の中に二人の自分がいると感じてきた。

その二つの人格は「中村うさぎ」というペンネームで自分の愚行を書き記すようになってからますます顕著に分裂し、欲望と思いつきのままに生きる「中村典子」とそれを観察して記録する「中村うさぎ」という二つの存在が車の両輪のように「私」という人間のアイデンティティを支える存在となった。

要するに「非言語的存在の私」と「言語化された私」である。

ちなみにこれは私に限った現象ではなく、誰もが自分の中に「非言語的な私」と「言語化された私」の二つの自分を持っていると思う。

ただ、私のように「非言語的な私」を躍起になって言語化しようとする人間と、あまり意識せずに緩やかに共存している人間とに分かれるだけだ。

私は自分を理解したいというただその一心で、必死に己を言語化しようと試みてきた。

もちろん完全に自分を言語化する事など不可能だが、それでも「非言語的な私(無意識の私と言い換えてもいい)」の皮を「言語化」という手法で一枚一枚剥いでいくうちに、私の中の核(いわば私の正体)が露わになるのではないかと期待していたのだ。

私の言語化作業は、私が私に出会うために必要な手段であった。



しかし、63歳になった今、私は未だに自分に核に辿り着けていない。

私の核など、はなから存在しなかったのかもしれない。

だとしたら私は無駄な作業に何十年も費やして来た事になるが、作業自体は大変楽しくワクワクする体験だったので、その無駄骨に対して特に後悔などはない。

その無駄な時間をもっと有意義に使えよとか言われそうだが、そもそも有意義な人生など存在するのだろうか?

みんな、有意義なつもりの自己満の人生送ってるだけでしょ?

自分が満足してれば、ちゃんと自分にとって意味があるのよ。

少なくとも現在の私はそう思っている。



私は自分の眼に映る「私」を言語化してきたが、その一方で自分の眼には映らない自分が存在している事もずっと気になっていた。

いわば「第三の自分」だ。

「非言語的な私」のさらに深層にいる「私」だ。

その第三の自分を捕捉しなければ、私は自分を完全に把握したとは言えない。

だが、目に映らない自分をどうやって可視化すればいいのか?

それは「他者を鏡にする」以外にない気がして、私は他人の中に自分の欠片を探すようになった。

シリアルキラー好きも、その「第三の私」探しの一環である。

世にも残酷で理解し難いシリアルキラーたちの中に、私は自分の欠片があると感じていたのだ。

べつに私の中に人殺しの願望があるという事ではなく、単に「理解し難い存在」への興味だ。

そもそも、この世に「理解不能な人間」など存在し得るだろうか?

理解できないと思うのは、単に理解しようとする回路を遮断しているだけではないか?

どんな人間にも何かしら私と繋がる細い糸があるはずだ、と私は思う。

その糸口を見つければ、私はその人間の中に入り込み、同化する事ができるような気がするのだ。

それは「謎解き」の一種である。

「謎解き」とは理解できない事象を手の中でこねくり回しながら、自分の脳内世界と繋がる僅かな糸口(手掛かり)を見つけて入り込み、その世界の仕組みを自分の世界地図に置き換えて読み解く作業だ。

シリアルキラーの思考を私の世界地図に転写して読み解けば、そこにきっと今まで視えなかった私の欠片があるはずだ。 

この続きを見るには

(1,006文字)

¥250(税込)

購入して続きを読む