女王様のご生還 VOL.209 中村うさぎ

男性から性的なからかいを受けて傷ついたり性的暴力を受けて苦しんだりした女性は少なからず存在するし、そういった人々が男性からの視線や振る舞いに過敏になってしまうのは私にもわかる。

その一方で、男性からの性的関心を誇らしく喜ばしく感じる女性がこれまた少なからず存在するのも事実である。

どちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではない。

性的アプローチが、人によって嬉しかったり苦痛だったりするのは致し方なかろう。

すべての女性が男性からの性的アプローチを歓迎するとは限らないし、同様にすべての女性が嫌がるとも限らない。

これはもう、個人差なのである。



ある女性にとっては「褒め言葉」でも、別の女性にとっては「セクハラ」となる。

セクハラの難しさはここにある。

したがって男性たちはどうしても消極的にならざるを得ないわけで、恋愛物の漫画やアニメなどでも男性から露骨に性的アプローチするような描写は少なく、むしろ女子の方から積極的にアプローチして来たり、あるいは「ラッキーすけべ」のような偶然のハプニングに頼るような設定がほとんどである。

ただし例外は、女性向けのレディコミや乙女ゲーム。

こちらは男性がレイプすれすれの強引なアプローチをして来たり「壁ドン」などでお馴染みの力づくの迫り方をして来て、ヒロインが顔を赤らめて恥じらいながらもうっとり、などというシーンが当たり前のように登場する。



これは面白い現象ではないか。

少年漫画の「ラッキーすけべ」が男子読者たちのけしからん性的衝動を煽るとして目くじら立てる人たちは、少女漫画やレディコミや乙女ゲームでこのような「彼の強引なアプローチにドキドキ(ハート)」的な描写が女性ユーザーを喜ばせている現象をどう捉えているのだろうか?

「男性優位的な価値観を刷り込まれたバカ女たち」と嘆く御仁もいそうだが、「やっぱ男子から強引なくらい積極的にアプローチして来て欲しいよねー(ただしイケメンに限る)」という彼女たちの願望をこの世から駆逐することはできないだろう。

何故なら、いつの時代にもどんな育ち方をしてもそういう性癖の女性は一定数いるわけだし、いくら政治的に正しくなくても個人の趣味嗜好に誰も口は出せないからだ。



少年漫画の「ラッキーすけべ」で胸がはだけたりパンチラしたりする女性たちが「男性の性の道具」として描かれていると言うのなら、少女漫画や乙女ゲームの「壁ドン男子」だって女性の欲望や願望を満たす「性的道具」として手前勝手な男らしさを押しつけられているわけで、要するにどっちもどっちである。

そもそもエンターテインメントを目的とした表現物は読者の欲望や願望を満たしてナンボであるから、性的事項に限らず、悪と戦うヒーロー物だってドラゴンに乗ってイジメっ子たちにリベンジするネバーエンディングストーリー的児童文学だって、「暴力」や「復讐」といった反社会的カタルシスを子供たちに提供しているではないか。

で、それが名作とか呼ばれたりしているわけよ(苦笑)。

でも、そういうものをいちいち批判してすべてこの世から消し去ったら、そこに残るのは毒にも薬にもならない味気ない表現の砂漠だ。

だから「ま、ツッコミどころ満載だけど、べつにいいんじゃない? 大人になったら嫌でも社会の矛盾や不条理に直面するんだし、その時には自分がどんな価値観を選択するか本人が決めればいい事でしょ」と、それらの孕む危険性を大目に見るしかない。

結局のところ、我々は子供に「していい事と悪い事」は教えられるが、もっと複雑な問題に関する答は成長した本人に任せるしかないのである。

だって自分だってそういう問題に答を見つけてないんだもの。

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