今日も怪獣日和 第2回「成田亨──本気で《大人》を感じた人」

 去る2002年2月26日、初期ウルトラシリーズのデザインで知られる成田亨氏が亡くなられた。本当に残念でならない。

 映画ではなく、テレビのウルトラシリーズから怪獣の魅力に取りつかれた私にとって、成田亨デザイン・高山良策造形による『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のヒーローや怪獣、超兵器の存在は原点であり、とてつもなく大きい。

 よく思い返してみれば、怪獣人生を続けるきっかけとなったのも、実は成田亨氏が大きく関与していた。ウルトラシリーズが休止時期の1970年、怪獣を卒業しても良さそうな中学生の私は、学校近くの古書店でノーベル書房『怪獣大全集』の一冊を見つけた。「怪獣の描き方教室」と題したその本に、成田亨氏はウルトラ怪獣のデザイン画とともに、寄稿を行っていた。これは人生の中でもかなり大きな衝撃的な出会いであった。

 なぜならば、これはおそらくは私が目にした怪獣映画──その「ものづくり」に関する「大人の手」による初めての本格的な記事だったからである。今でこそ特撮映画やアニメのビハインド的情報はあふれ返るほど出ているから珍しいとも思わないだろうが、その時点ではそもそもまず「怪獣にデザインがあること」と、その裏に「思想があること」自体が衝撃的であった。そう言えば、驚きの大きさが少し実感していただけるだろうか。

 ウルトラ怪獣のデザイン画自体は少年マガジン等の雑誌にも掲載されていから、そのとき見ていたかもしれないが、ほとんど記憶に残っていない。やはり成田氏の添えた文章こそが衝撃の本体であり、デザイン画自体の衝撃を何倍にもする本質であった。それは「デザインする」とはどういうことか、大人の視点できちんと説明したものだったからだ。

 たとえば成田氏はウルトラ怪獣をデザインするときの「ポリシー」を、「お茶の間の子どもに不快感なく見せるもの」という目的に沿ってきわめて明解に定義し、説明する。

(1)怪獣はお化けではなく生命力のある動物であること

(2)既存の動物が単なる巨大化したものではないこと

(3)内蔵を露出させたり身体の一部を壊したりしないこと

 この趣意の3原則は、成田氏の他の著書にも再三引用されているから目にした方も多いだろう。

 これを前提に世にあふれる怪獣を再チェックしてみると、自分が格好いいと魅力を感じる怪獣は、ほとんどこの原則通りのものと分かって驚いた。ポリシーとは、デザインを行うとはそういう「発想」と「哲学」を仕事に込めることなのか──そうした「大人の発想」を知ったことは、とてつもなく大きな収穫であり、人生観に大きな影響をあたえている。

 今の目で改めてこの原則を再検証した上で極論すれば、成田デザインのものでなくとも、成田提案の基準に合致した怪獣であれば、それがアニメのメカ怪獣であってもOK――それが私の感覚である。実際、そういうものだけが年月を越えて受け入れられ続け、カプセル玩具や食玩等で再生産されている気までしてくる。

 さて、その成田亨氏の文には、この原則以外にも驚きの言葉が満載であった。今でも記憶に残っている例を挙げると、レッドキングの身体が階段状になっていて顔が小さいのは、下から見上げたときの遠近感の誇張というものである。そんな理詰めの設計(デザイン)だったとは! 怪獣解説と言えば「バネ心臓」という構造や「1兆度の火の玉」という能力に寄りそっていたもの主体に読んできたのだが、まったく違うアプローチで説明できる部分がある──それ自体が大いなる驚きと喜びであった。

 ケムール人にいたっては、高速走行をするため、前後に視線を配することができるという成田氏の設定に仰天した。モノクロの『ウルトラQ』は再放送されなくなりつつあったが、後に観られるようになったとき、必死で機電で動く目を注視したものだ。この配置は、エジプトの壁画のような横向きの顔と正面向きの目玉をひとつの絵に納める「シンクロナイゼーション」技法からヒントを得たという。この解説にも大衝撃を受けた。

 小学生が読む本なのに、美術専門用語が平気で飛び出す。それでも言っていることにスジが通っているので、判らないということはない。それどころか、好きなくせに「たかが怪獣」と心のどこかで見くびっていたものの奥に、太古のエジプト文化、もっと大きく出れば「人類が連綿と積み上げてきた芸術」の流れが脈打っていることに、知的な興奮をおぼえさせられた。

「この人は本気だ」そう思った。

 成田氏の「大人」の姿勢が、どの角度からも伝わってくる。それは怪獣の写真や映像にも、はっきりと目には見えない限りなく大きな力を与えてくれるものだったのだろう。だからこそ、永遠に残るものとなったわけである。

 先の成田怪獣デザインの3原則が21世紀になっても普遍的に通用するのであれば、改めてデザイナーや観客の指針と認識しなおしてみてはどうだろうか。そして、その上にまた新たなる発見と発展を、新たな挑戦と提案を築き上げていって欲しいものだ。

 と、以上は多少個人的な解釈の入った文章ではあるが、私なりの心からご冥福の祈りということで、ご容赦いただきたい。合掌。

*ご命日誤記を修正しました。失礼しました。ご指摘ありがとうございます。

【2002年3月7日脱稿】初出:「宇宙船」(朝日ソノラマ)