女王様のご生還 VOL.79 中村うさぎ

先日、斉藤章佳氏のトークイベントで「小児性犯罪者」についての話を聞いた。



100人ほどの小児性犯罪者のカウンセリングをしている斉藤氏が「彼らにどういう気持ちで子どもに性的行為をするのか尋ねたところ、『飼育欲』という言葉が複数あった」と報告した時、私の周囲の聴衆たちはざわめき「気持ち悪い」などという囁き声も聞こえてきたのだが、私は全然驚かなかったし、むしろ「ああ、わかる」と思ってしまった。



え、だって、それってわりと普遍的な欲求じゃないの?

たとえば光源氏が幼い若紫を引き取り、自分好みの女に育て上げて妻にしたのだって、要は「飼育」でしょ?

私が若くてうだつの上がらないホストに金を注ぎ込み、いろんなレストランに連れていったり高級ブランドの服を買い与えたりして一流の男に育てようとしたのだって、当時は「愛」だと思ってたけどその本質は「飼育」だよね。

同様に「マイフェアレディ」や「プリティウーマン」も「飼育」じゃないか。



そもそも、我々がペットを飼うのは、「飼育欲」の顕著な発露である。

と、このように言うと「ペットは動物だからいいけど、人間を飼育するのは人権侵害だ」という反論を受けそうだが、「猫かわいがり」という言葉があるように、我が子をペットのごとく愛玩する親は少なからずいるだろう。

そして、それを「愛」だと疑わない。

「飼育」は非道で「養育」は人道的だと言うのなら、「飼育」と「養育」の明確な線引きはどこでなされるのか。

「愛」という名のきわめて定義の曖昧な感情か。

ならば、ペドフィリアたちもまた、己の感情を「愛」と呼ぶだろう。



男女の別なく、我々が「愛」と呼ぶ情動には「支配欲」や「独占欲」とともに「飼育欲」も含まれていると思う。

あの会場で「うわ、気持ち悪い」と反応した人たちには、そのような経験や感覚がまったくないのだろうか?

それとも、最初から「犯罪者だから私とは違う。気持ち悪いに決まってる」と思い込んでいて、その欲望を我が身に置き換えたり普遍的なものとして捉えようなどとは考えもしないのか?

その視点はまた、ものすごい差別と偏見に満ちてはいないか?



もちろん私は幼児をレイプする者たちを擁護する気などさらさらない。

ただ、彼らの行動原理を理解しようとするのなら、のっけから「気持ち悪い」などと排斥せず、少しでも普遍化して考える必要があると思うのだ。

少なくとも己の中に「飼育欲」は皆無なのかどうか、顧みる必要はあるだろう。

そして、ペドフィリアがそれを「愛」と呼ぶのを批判する前に、我々自身もまた「飼育」と「養育」、「支配」と「愛」を混同していないのか、きちんと分析すべきだと思う。

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