女王様のご生還 VOL.265 中村うさぎ

先日、「ペンギンとは魚になりたかった鳥である」という言葉を耳にした。

何かの本の一節らしいが、私は読んでいないので、前後の文脈も著者の意図もわからない。

ただ、「魚になりたかった鳥」というのが切なくて詩的な視点だなと感じた。

そう、詩的で、そしていかにも人間らしい発想だ。

だって、おそらくペンギン自身の気持ちとしては、別に魚になんかなりたくないと思うもん。

ペンギンは魚の捕食者だ。

捕食者が非捕食者になりたいなんて考えるだろうか?

ライオンが鹿になりたがるか?

鮫がイワシに憧れるか?

食肉用の牛になりたいと願う人間がいるだろうか?

そんな生物的にあり得ない事を、勝手な感傷で解釈してしまう。

それが「人間」という生き物だ。



確かにペンギンは、わざわざ過酷な環境で生きる道を選んだ奇特な生き物だと思う。

私もペンギンは結構好きなので、ペンギンの生態を描いたドキュメンタリーなどはよく観るのだが、コウテイペンギンたちが凍えるような吹雪の中で身を寄せ合い必死で子育てする様子なんか見てると「なんでもっと暖かい場所で暮らさないんだろう?」と不思議で仕方ない。

もちろん南極大陸を出てより暖かい場所に移ればそれだけ天敵も増えるんだろうだけど、実際にはもっと暖かいエリアで暮らしているペンギンたちも大勢いるわけだし(ちなみに南極大陸で子育てしているペンギンは僅か2種類だけらしい)、思いきって集団移動してみようとは思わないのだろうか?

調べてみたら、ペンギンはべつに寒いのが好きなわけではなく(当たり前だよな)、寒流の流れる冷たい海がプランクトン豊富で理想の餌場だからだそうな。

なるほど、メシの問題か。そいつぁ重要だよな。

でも、南極大陸は産卵と子育てには最悪の場所だろう。

もうちょっと北上したって魚はいるわけだし、いくらメシがうまいからって、我が子が凍死しかねないような環境はいかがなものか。

まぁ、それもまた人間が勝手に考える理屈であって、ペンギンたちには大きなお世話なのだろうけど。



我々がペンギンを切ない生き物だと感じてしまうのは、彼らが生まれた環境から脱する術を持たないように見えるからだ。

遠い祖先が南極大陸で生きる事を選択してしまったせいで彼らは極寒の環境で仕方なく生きている、と、そう思うからである。

人間は世界の広さを知っており、この星に多様な気候や環境が存在する事実も知っている。

だがコウテイペンギンたちはそれを知らず、与えられた過酷な世界を「唯一の世界」だと思っているのだろう。

だから脱出も移住も図らず、ただただ吹雪の中で必死に耐えている。

要するに我々は、彼らの無知に同情しているのだ。

だが、彼らは本当に気の毒なのだろうか?

たとえば南極で捕獲され日本の動物園や水族館で暮らしているペンギンたちは幸せなのか?

確かにそこは凍える心配もなく、海に潜らなくても餌は充分に与えられ、繁殖相手も用意されている。

柵の中で飼われているので自由はないが、南極大陸に住んでた時だってさほど行動範囲は広くなかったろうし、ライオンや鹿のようにそもそも草原を駆け回るようなライフスタイルの生き物ではないのでフラストレーションが溜まる事もなかろう。

唯一の不満は、泳げる場所の狭さくらいか。

なんたって海は広大だもんな。

でも、水棲動物じゃないのだから、海がなくても生きてはいける。 

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