CABINに遅れること約一年、1998年、さらに大きなIPT(Immersive Projection Technology)装置が岐阜県に完成する。これはCOSMOSと呼ばれ、CABINの5面に対して、6面のスクリーンを持つ。立方体の側面数が6面であるから、視野のすべてが立体映像で覆われる究極の装置である。
実はその計画の始まりはCABINより早い。そもそも、VR技術によって県の活性化を図ろうという着想を持ったのは、県知事の梶原拓氏(当時)であった。たしかに、岐阜県各務ヶ原市は、わが国航空産業のメッカのひとつであり、そこに宇宙航空産業をルーツに持つVR技術の研究センターを置き、産業活性化を図ろうというアイデアは自然にみえた。県の動きは早く、1993年、各務ヶ原市にVRテクノセンターの建設が決まり、そこの中核施設として、IPTが選ばれたのである。
著者の研究室に県の担当者が訪れたのはその直後のことだったと思う。当時はまだ東大にCABINの計画はなく、森ビルとの共同研究で、簡単な和製CAVEが試作されていたような状況であった。(森ビルの話はまたどこかでしたいと思っている。)直ちに東大との間に共同研究契約が結ばれ、計画が始まった。
CABIN計画がはじまったのが1995年ごろだから、CABINはCOSMOSの習作といえなくもない。梶原知事は何でも一番が好きだったので、東大と同じもので満足するはずがない。CABINの5面に対し、COSMOSの6面という仕様が決定されたのは必然ともいえる。
VRテクノセンターの建物は英国人建築家のリチャード・ロジャース氏の設計による雄大なものであった。岐阜県は、このVRテクノセンターに加えて、マルチメディア技術のスタートアップ企業の育成をめざしたソフトピアジャパンと、マルチメディア人材の育成をめざした県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS:現情報科学芸術大学院大学)を大垣市に設置、この3点セットでデジタルメディア技術産業に食い込もうとしたのである。大変野心的な地方創生計画だったといえる。現在も、岐阜県庁関係のメールアドレスに<gifu.jp>というドメインが使われているが、当時の県の熱心さがわかる。(goとかacとかを飛ばしていきなりgifuである。)
岐阜県は、VRテクノセンターのような、箱モノ支援だけでなく、ソフト支援も行った。学生VRコンテスト、VRの国際会議のひとつであるVSMMなど、いずれもそのルーツを岐阜県に持つ。意外に知られていないのが、日本VR学会の設立時における岐阜県の関与である。学会の始めの頃のホームページが岐阜大学に置かれるなど、わが国VR研究の初期において岐阜県が果たした役割は大きかった。
CABINとCOSMOSのコンビは、当時の広帯域通信回線、いわゆるギガビットネットワークの研究開発にも積極的に関与することになる。1999年に始まる、郵政省(当時)のMVLプロジェクトなどはその嚆矢である。これはCABINとCOSMOSをギガビット回線で結び、テレプレゼンスによる新しいバーチャルな実験環境を作ろうという試みであった。この研究は、相前後してスタートするIPT発祥の地であるイリノイ大学とも手をつなぐことになる。この辺の話もまたあとで書こう。