昨年、ポケモンGOが大きな話題を呼んだことは前にも書いた。こういう屋外型のゲームはAR(拡張現実感)技術の入口であり、今後の発展が期待されている。この技術の源流のひとつとして記録しておきたいのが、2005年の愛知万博(愛・地球博)のために計画された「領域型パビリオン」である。
著者が、万博協会の会場計画WG委員として愛知万博にかかわるようになったのは、1990年代の終わりごろと記憶する。当初は会場として「海上(かいしょ)の森」が予定され、建築計画を最小化することによって、環境を破壊することなしに緑の環境博を実現することが構想された。会場計画には、今や世界的建築家となった隈研吾氏をはじめとする当時の若手建築家グループが参画し、トポス型建築、領域型展示空間のような新しい建築概念が提案された。前者は地形を温存した建築という意味で、後者は屋外展示という意味である。
著者の興味をひいたのがこの「領域型展示空間」であった。これは従来の万博の象徴ともいうべき展示建築(パビリオン)によらない展示空間を作ろうという試みである。理想とするイメージは下図のようなもので、森という自然環境を借景として、建築空間に閉じない展示が構想された。それを実現するためには、ウェアラブルコンピュータのような情報的な手段が想定されたことは言うまでもない。
(隈研吾建築都市設計事務所提供)
著者は、コンピュータの専門家として、このプロジェクトのプロトタイプ試作を行った。当時は、コンピュータのモバイル化が始まったところであり、AR技術、ウェアラブルコンピュータなど、目新しい技術が目白押しであり、技術的にも興味深いプロジェクトであった。冒頭の写真は、文化服装学院の先生にお願いしてデザインしていただいたウェアラブルファッションである。スマホが登場する以前のこと、コンピュータとまだ手のひらサイズぐらいのGPSがリュックサックのように背中に包まれているのはご愛敬である。
こうしたシステムを用いて、どんな展示が可能かについて、通産省の支援の下、いくつかのコンテンツを2000年ごろから試作し始めた。ある場所に歩いていくと、その場所にひも付けられた情報がシースルーのゴーグルを介して眺めることができる。森の道に存在する様々な自然物を借景として、例えばオペラなどの芸術作品を上演することもできるだろう。自然に調和した展示物を遊歩道に並べ、その解説はゴーグルを介してみることができるだろう。様々なコンテンツが構想された。
明治村の協力を得て、建物をめぐる歴史探訪コンテンツなどは今も思い出深い。保存建物のまわりを歩き回ると、必要な画像がオペラグラス風ゴーグルからのぞけ、同時にナレーションが聞こえるという大体40分ぐらいのものである。「明治の元勲たち」「鉄道の始まり」「文明開化の食文化」など、テーマによって順路が変わるのはもちろんである。バグとりのために明治村をシステム担当企業の人々や学生と何時間も歩き回り、足が棒になった記憶がある。
プロジェクト自体は大変充実したものであったが、残念ながら、この計画が現実化することはなかった。あまりに野心的で、技術的に未成熟だったこともあるが、何よりも端末の準備に大変な費用が掛かり、現実的でないということになったのである。ほとんどの人がスマホを所有する今日であれば、まったく問題のないところであるが。
愛知万博には、これまでのハードウェア中心の発想から脱却して、ソフトウェア中心の新しい国のあり方を考えようという思いが込められていた。大阪万博当時の、会場を造成しその場所に無文脈にパビリオンを並べる、という従来型の発想の否定がそこにあった。今言われている「モノからコトへ」を先取りしたものだったのだ。
「新社会資本」などという新しい政策が登場したのもこのころであった。こうした動きがもっと大きくなっていれば、現在のような産業界の閉塞的状況も緩和されたのではないか。ポケモンGO的なものを単なるゲームと片付けてはだめだと著者は折に触れて主張しているが、その根底にはこんな体験がある。
愛知万博自身も、海上の森で希少生物のオオタカが発見されたあたりから迷走をはじめ、結局は長久手の運動公園を会場とする従来とそれほどかわらない(少なくとも森林を中心会場とはしない)万博になってしまった。
しかしながら、物語はこれで終わらない。実は、この後、領域型展示は科学博物館で開催された「ゲーム展」において、「ユビキタスゲーミング」へと進化をとげ、さらには文科省のデジタルミュージアムプロジェクトでも大きな役割を演じることになる。そして、スマホ文化の開花とともに現在のARブームへとつながっていくわけだが、これは後の機会に述べることとしよう。