複合現実感の世界 ーリアルとバーチャルは対立しないー [世界VR史]

 

 今回はVRと並んで注目されているARにかかわる話題である。VRとARは違うのか?同じという人もいるし、違うという人もいる。

 ところで、「リアルとバーチャルの区別がつかなくなったらどうするのだ。」とは、VRの初期によく言われたことである。この言葉の裏には、両者は対立概念であり、相容れないものだという考え方がある。しかし、本当にそうだろうか? 何年か前、山で遭難しかかった登山者が携帯電話で助けを求めてきたという。今や純粋なリアルなど、どこにも存在しない。

 リアルとバーチャルは対立概念でなく、お互いにつながっている、と述べたのは、トロント大学のP.ミルグラム教授である。彼は、純粋なバーチャルとリアルをつなぐ線をひき、その間にAR(Augmented Reality:ほとんど現実の世界にバーチャルな世界を合成したもの)とかAV(Augmented Virtuality:ほとんどバーチャルな世界に現実の世界を合成したもの)とか、様々な中間概念が存在するとした。そしてその全体を「複合現実感(MR: Mixed Reality)の連続体」と呼んだ。1990年代も中ごろの話である。

 したがって、MRやそれに含まれるARなどの言葉はVRから派生してきた言葉である。したがって、ARはVRの弟分といってもよい。VRで使われるHMDを素通し形にすれば、眼前に広がる現実世界にバーチャルな世界を重ねて表示することができる。こういうHMDをシースルー型HMDと呼ぶが、技術的には大別して2つのタイプがある。1つは「光学シースルー」で、ハーフミラーを用いてリアルとバーチャルを光学的に重ねる方式、もう1つは「ビデオシースルー」で、外界をカメラでとり込み、それにバーチャルな映像を重ねるという方式である。冒頭の写真は、最近話題のHoloLensだが、これは光学シースルーである。

 1990年代のおわりごろ、当時の通産省が大型プロジェクトとして、MRをとりあげている。この時代にARの国策会社があったと聞くと、びっくりする人がいるのではないだろうか。(昔の役所は今よりずっと実験的精神に富んでいたと、著者は思っている。)このプロジェクトは通産省支援の下、キヤノンによって設立された「MRシステム研究所」によって実施され、大学(東大・北大・筑波大)が協力するという形をとった。

 MRシステム研究所では、シースルー型HMDの開発をはじめとして、実写画像ベースのバーチャル世界の構築技術の開発、リアルとバーチャルが融合する際の人体影響の調査など、さまざまな角度から革新的技術が研究された。下の写真は、著者の研究室で試作した「サイバーシティ―・ウォーカー」であり、本気で開発すれば、Google Street View に先んじたかもしれないシステムであった。

 MRプロジェクトは5年間つづくが、プロジェクトを進めていくうちに、面白いことに気が付いた。MR、特にARに要求されるVRは、これまでのVRとやや違った性格を持つということであった。

 VRで面白いのは眼前の世界と全く関係のない世界が体験できてしまうということである。居ながらにしてニューヨークやパリ、果ては存在しない空想の世界が体験できることがVRならではである。だから、VR用のHMDには高い臨場感の創出、つまり広視野角、高精細度などが要求される。

 それに対し、ARは、眼前のリアル世界という文脈に大きく拘束されている。実験室のような小さい実空間では、演出できるコンテンツは限られる。リアルな世界を楽しみたければ、公園や商店街、大学のキャンパスなど、室内にとどまらない広がりが必要である。技術は屋外(アウトドア)仕様になる。そこでは、コントラストや輝度などが、広視野角や高精細度より大事である。つまり、AR世界の持つ空間的広がりは、VRよりはるかに大きい。AR技術は広域化という独自の目標を持つようになるのである。

 ARにとって、幸せだったのは、ちょうどMRプロジェクト終了のころから、携帯電話をはじめとするいわゆるモバイル形の情報システムが一気に普及をはじめたことである。用のARシステムは、そのうちウェアラブルコンピュータへと進化する。ARは「ポケモンGO」や「セカイカメラ」などの新しい技術へとつながっていくことになるのである。