America First の本当の意味 -スターク研究室にて- [世界VR史]

  著者が海外に1年間留学したのが1989年のことであったが、その受入先がカリフォルニア大学・バークレー校のローレンス・スターク教授(1926-2004)の研究室であった。彼は基礎工学と視覚生理学の教授で、医学博士であると同時に、コンピュータ・サイエンスの学科も兼任していた。

 下の図は何に見えるだろうか。ウサギという人もいるし、ペリカンに見える人もいるだろう。ウサギに見える人にはペリカンは見えず、ペリカンに見える人にはウサギは決して見えない。スターク教授は、見えているもの(ウサギかペリカン)と目の動かし方の間に大きな関係性があることを発見した研究者として有名である。何が見えているかは、脳の中の出来事だから、直接的にはわからない。しかし、目の動きを計測すれば、それがわかるというわけである。

 こういう何通りにもとれる図形は「多義図形」とよばれる。多義図形がなぜ存在するかといえば、網膜に映る像そのままが「我々が見ているもの」ではないからである。網膜への刺激は視神経を通じて脳に送られ、そこで処理されて初めて我々の意識に上る。目に見える世界は脳が作っているのである。たとえば、読者の皆さんの目にはどのくらいの範囲が見えているだろうか。180°近くが見えているように思えるのではないだろうか。しかし実際、くわしく調べてみると、細かい形が見えているのは、視野の中心からわずか数度くらいの範囲なのである。その周囲はぼんやりとしており、色も感じていない。われわれが広い視野を持っていると信じているのは、目をきょろきょろ動かせるからで、目を動かして言える範囲が記憶され、その補正効果によって、広い範囲が見えているように錯覚しているのだ。スターク研究室ではこういう基礎研究から始まって、テレロボティクスやVRなど、幅広い研究が行われていた。

 留学先として彼の研究室を選ぶにあたっては、最初から深いこだわりがあったわけではなかった。いくつかある候補の中から、ここが一番面白いかな、という程度の感覚であった。しかし、いま思えば、ここでの1年がその後の自分の研究生活を決めてしまったわけだから、われながら良いところを選んだものだと思っている。

 スターク研には当時のVRのキーパーソン(特に西海岸学派)のかなりの人数が集まっており、結果論として、スターク研には、VR発生の地VPL社にHMDを作らせたNASA(航空宇宙局)・エイムズ・リサーチセンターの研究員が日常的に出入りしていたし、テレプレゼンスという言葉の提唱者であるMITのシェリダン教授とスターク教授は親しい友人であった。

 スターク研を訪れてまもなくのころ、研究を始めるにあたって、実験装置の調達に色々細かい心配をしている著者に、彼は「You are in America. You can do everything!」と言ってくれた。ものすごい自信である。「お前が生まれる前に軍関係者として日本に行ったことがある」という彼は、まさに古き良きアメリカの体現者であった。正直言って、1989年ごろといえば日本はバブル期で、研究予算もアメリカがけた違いに大きいというほどではなくなっていた。しかし、1年間の滞在のうちに、問題は研究費のみではなく、もっと別のところにあると思い知ったのであった。

 ある日、スターク教授から、「来月、サンタバーバラでお前の興味を持つだろうミーティングがあるが一緒に行くか」と誘われたので、二つ返事でついていくことにした。それがいわゆるサンタバーバラ会議で、VRが学術領域として独り歩きを始めるきっかけであった。シェラトンホテルの数室を借りて3-4日泊まり込みで行われた小さい会議には、VRの祖父と呼ばれているような当時の権威が集まっていたことに驚いた。極端な話、そこで主要な登場人物が決められたのである。会議の終わりには、MITプレスで雑誌を刊行しようというところまで話まで出来上がっていた。

 日本ではいろいろな研究をするとき、他がなにをやっているかを大変気にする。新規性について意識することは良いのだが、重箱の隅をつつくようなテーマに落ち込んでしまうことがある。それに対し、国際的に名の通った会議で発表される論文は、問題の設定がおおらかであり、その解き方が見事なものが多い。気にすべき問題やテーマを自分たちが設定できるのである。ある領域のメッカであるコミュニティに所属するという意味はそこにある。何が重要か、何を先にやらねばならないかを自発的に決められるということである。ルールメーキングができるのである。

 ルールメーキング能力はこれからの日本でもっと論じられるべきだろう。わが国はすでに十分な蓄積もあり、ある種の力も持っている。自分で考える力を持つべきである。