力を使わない力覚ディスプレイ-Pseudo Haptics- [世界VR史]

 

 前回、触覚の発生について、正攻法でないやり方があると記した。今回はその方法について紹介してみたいと思う。この方法を発見したのはフランス人であるが、いかにもウィットに富んだフランス流のやり方であり、常に正面突破をねらう日本人のわれわれにとって「目から鱗」の部分が多い。

 この発想の原点は、我々が日常的に行っている、マウスによるカーソル操作である。マウスを前後左右に動かすと、画面上のカーソルがそれに応じて動く。言うまでもなく、マウスに触力覚の発生装置などついていないから、通常のマウス使用に際し、力など感じることはない。

ところが、計算機の負荷が大きくなった時などに体験することだが、マウスの動きに対するカーソルの動きが鈍くなると、面白い現象が起こる。カーソルがついてこなくなり、そこにある種の力覚を感じるようになるのである。人間の腕は拮抗筋という2本の筋肉に加わる力のバランスによって動かされているが、動かないカーソルを動かそうとすると、そこに余分な力が加わるために、力を感じるのだろうと考えられている。

 友人の音楽家にこの話をしたら、とてもよくわかるとの反応だった。指揮者は別に力仕事をしているわけではないが、一曲指揮をし終わるとくたくたになるそうである。自分の指揮に楽器がついてこないと腕がぱんぱんになる。自分の思い通りに事が運ばないとイライラするが、その感覚は触力覚かもしれない。「疲れるヤツ」はあながちメタファーではないのかも。

 この現象を新しい触覚ディスプレイの原理として使うことができると主張し、VR研究の場に引っ張り出したのが、冒頭で述べたフランス人、 レンヌ大学のアナトール・レクイヤー博士である。最初の論文が発表されるのが、2000年ごろであろうか。彼はこの現象にPseudo-Haptics(擬似触覚)という名前をつけた。

 その原理を詳しく説明しているのが下の図である。マウスを1㎝動かしたとき、カーソルの動く量をαとしよう。α<1 ならば動きに対する抵抗力を、α >1ならば動きを加速する力を感ずるのである。画面の左から右へ、αの値を領域Aではα=0.5、Bではα=1.0、Cではα=1.5のように変化させておき、この状態でマウスを左から右に動かすと、山型のバンクを乗り越えたように感じるであろう。(この辺の感覚は、そのうちこのmine上で体験する機会を設けようと思う。乞うご期待。)



 この発明は偉大である。なぜならば、力を発生するために、大げさな機構が不要だからである。それはそのはず、外的に発生している力など、どこにもないからである。これによって、触覚ディスプレイの普及が大きく進むかもしれないからである。第1次VRブームの際、三菱総研がVRについてのさまざまな技術予測を行った。その中で印象的だった記述が、「触覚に関しては、そのままでは複雑な装置が必要となるため、広く一般化するにはかなりの時間を必要とする」というものであった。その後のVRの歴史は、まさにその予測通りであり、第1次VRブーム以来、現在に至るまで「触覚ディスプレイ」の役割はきわめて限定的である。

 ところで、別の見方をすれば、Pseudo-Haptics現象は、触覚という感覚が視覚によっても大きく影響をうけるということを示している。すなわち、レクイヤー博士は、いろいろな感覚同士が相互に作用し合うということに目をつけたのである。これを「クロスモーダル」現象といい、現在のVR研究において、もっともホットな領域の一つとなっている。その入口を作ったという意味でも、Pseudo-Hapticsはエポックメーキングな研究である。