呪われたオリンピックは続くようです。オリンピック開会式楽曲担当となった音楽家の小山田圭吾氏が、過去にいじめをしており、その自慢話を雑誌で公表していたことへの激しい批判が止まりません。私はよく「上手な謝罪」を指南してほしいと相談をいただくのですが、謝罪には限界があります。小山田氏はどうなのでしょう。
・「上手な謝罪で何とかして下さい」というリクエスト
謝罪のプロということで、芸能人や政治家といった有名人がやらかし会見をするたびにコメントや採点を求められるのですが、謝罪代行をしている訳ではありません。
過去にクライアント企業の人事管理や組織管理上のトラブル対応で、その企業の方と共に危機対応する一環で、謝罪やトラブル処理にはいろいろと当たってきました。最悪の事態を何とか回避する。企業であれば会社の存続ができない事態を回避することなどが目指すゴールになります。
しかし謝罪だけで、どんな事態でも何とかなる訳ではありません。謝罪ではどうにもならないことは当然あります。例えば犯罪です。犯罪は謝って済む問題ではないからです。私がよくコメントを求められる不倫問題は、正確に言うなら犯罪ではありません。配偶者に対する損害賠償はあっても、第三者であるファンやただテレビで見ているだけの一般視聴者は被害者ではないのです。
謝罪会見で怒りを受けずに逃げようとした場合は、100%失敗するか、自分自身が芸能界から消えることになっています。一方上手に怒りを受け止め、反発を和らげることに成功すれば芸能活動も継続でき、芸能人としての危機回避ができる場合もあるのです。
・小山田氏は詰み状態
しかし犯罪はだめです。違法薬物や暴行などの刑法犯罪の場合、どう謝ったところで致命傷となります。小山田氏が若かりし頃のインタビューで、かつて自分がいじめをしていたことを自慢話風に語った件は、百歩譲って単に「いじめ行為をしたことがある」という告白だったとしても限りなくアウトなのに、そのはるか上を行っています。
特定個人をいじめ、それを武勇伝のようにアピールし、さらにそのイジメの相手が障害を持つ人だったとなれば、「若気の至り」で済むような事犯ではないでしょう。私は小山田氏はオリンピックの役職辞任以外に道はないと考えます。
炎上状態が収まらない中、ツイッターでの自身の反省を述べた謝罪文が発表されましたが、これまた「ツイッターで謝罪」という行為が、さらなる燃料投下になり批判が鳴り止む気配がありません。オリンピックの音楽監修者というメジャーな立場からすれば、もっと重々しい伝統的な媒体も使うべきです。
・サブカル、逆張りとメジャーな立場
小山田氏のやったことは単なる若気の至り、サブカルの悪ノリ、逆張りのいじりではないのです。爆笑問題・太田さんが「時代の価値観」という言葉で擁護的な発言をしているようですが、それは単なる悪ノリギャグまで。被害者を出すほどのいじめ行為は時代の価値観ではありません。さらにそれを武勇伝として自慢することも、オリンピックという栄えある場での音楽監修者としての資質を問う声が止まらないのは当然だろうと思います。
オリンピック開催に向けて政府が一直線に進むことへの反発。さらに緊急事態宣言発出後も感染者が爆発的に増え続ける中で、オリンピックだけが例外的に扱われることへの大きな反発も、燃料となっていると思います。
サブカルの立場だった時の言動をいまさら批判されることに納得は行かないかも知れません。しかしそうであればオリンピックというメジャーな舞台での栄えある立場に出ることは、こうした過去を暴く行為の洗礼を受けることまでも想定すべきでしょう。
私はさっさとオリンピック関係の役職を降り、再びサブカル的な非メジャーの世界に戻った方が、これまでのファンや支持者はついてきてくれるのではないかと想像します。BCP(事業継続)的危機管理からは、ビジネスをより継続しやすくなるのはコアなファンの確保です。早めに辞任することで、小山田氏に興味のない一般人の批判はほどなく収まるだろうと思いますが、従来かの段はキープできるのではないでしょうか。
呪われた東京オリンピックは、どこまでも暗い影が離れないようです。