電電公社・末っ子の逆襲! 企業が変わるとき、富士通(1) ノンフィクション作家・立石泰則の「企業は人なり」 第35号



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企業探訪 企業が変わるとき、富士通(1)

経営難や業績不振に陥ったとき、経営者(陣)はしばしば、打開策のひとつとして社員に強い危機意識を持つことを求める。また、経営再建のためには会社が「変わる」必要性を訴え、いままで「変われない」できた理由が指弾される。

では「会社が変わる」ことは、どのような状態を指すのであろうか。新聞や雑誌などで「会社が変わった」と評価されるとき、それはおおむね「V字回復」の言葉に象徴される業績の改善であったり、小手先の組織編成・改革に過ぎなかったりする。

しかしその実態は、根本的な問題の解決の先送りであり、当面の数字(業績)の「修正」に過ぎないことが少なくない。それゆえ、しばらくすると同じような問題を生じ、再び経営危機に陥ることになる。

その意味では、本当に「会社が変わる」ことは、生易しいものではない。経営トップと中堅幹部(ミドル)、そして現場(社員)が共通の目標を堅持し、その意義を共有したうえで、三位一体となって取り組むことが何よりも肝要となるからだ。

しかし三者が「心をひとつ」にすることは、何にましても一番難しいことでもある。まさに「言うは易く行うは難し」だからだ。

とはいえ、その困難に積極的に取り組み成功した企業が存在することも、また事実である。私の40年に及ぶ企業取材で「変わる」ことに成功した企業をひとつ挙げるとするなら、私は迷わず「富士通」を挙げる。

富士通は、もともと大手重電メーカー「富士電機」の電話事業部門が戦前に分離独立した通信機メーカーで、子会社として設立された当初は「富士通信機機器製造」が社名であった。主要な事業は日本電信電話公社(現、NTT)向けの固定電話等の通信機器を製造し、納入することである。

当時は、電電ファミリー(現、NTTファミリー)と呼ばれる指定業者の一社に過ぎなかった。

それが、いまでは世界100カ国以上でビジネスを展開し、従業員数(連結)約16万人、売上高約5兆円を誇る世界有数の総合エレクトロニクスメーカーであり、ITベンダー(製造販売会社)としても高い評価を得るまでになっている。



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