他人をバカにすることで生きる男たちーー③使えない“オジさん”ほど、会社にしがみつく?

前号から続いています)

このコーナーは「あなたの真の価値を社会の窓(他者の目線)から見極める」目からウロコのコラムをお届けします。

「他人をバカにすることで生きる男たち」と題した大型連載第3弾。

今回のテーマは「会社に“オジさん”がしがみつくワケ?」です。

前回、SOCを高めるにはいくつかのリソースを手に入れ、上手く使う術を知ることが大切だというお話をしました。ただし、リソースの中のいくつかには、“罠”が仕込まれています。それにはまると、せっかくの大切なリソースが、他者にストレスを与える「ストレッサー」に早変わり!

ひょっとしたら、既にアナタも“リソースたち”の悪魔のささやきに、まんまと引きずり込まれてしまっているかも……。今回はそっと胸に手をあてながら、まずは私のちょっとばかり個人的な話から、聞いてください。

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私は自己紹介が大嫌いです! 正確には「困る」と言ったほうがいいかもしれません。

もし、「見かけによらず人見知りで、引きこもり系です。寒いのが大嫌いで、冬になると冬眠したくなります」なんて感じでよければ、全く問題ありません。いくらでも自己紹介できます。

でも、こんな自己紹介をする人は滅多にいません。大抵は……

「○●会社の山田太郎です」

「△▲大学の山田花子です」

「IT関連の会社で、○○を担当してる日本一郎です」

「▲▲会社から昨年独立して、小さな会社をやってる日本梅子です」

といった具合に、自分の「属性」で「自分」を紹介します。

一方、私は完全無欠のフリーランス。所属している集団がありません。どこかの大学で常勤の先生だったり、自分で事業をやってればいいんですけど、それもナシ。

おまけに、書いたり話したり教えたりは、していますが、作家でもなければ、エッセイストではない。タレントでもなければ、大学だって非常勤でやってるだけ。一般の人が言うところの「本業」がない。

私にとっての本業は、「自分の言葉で伝えること」。なので職種でバシッと切ることができません。というか「する必要がないじゃん。河合薫って名前で仕事してんだから」と、生意気にも考えているのです。

ですから「河合薫」と名乗るだけで、「誰か」がわかるくらい知名度があればいいのでしょうが、残念ながらそのレベルにはない。

だから、本当に困る。

「私は……河合薫と申します」ーーー。これ以上、何をどういえばいいのか、わからないのです。

それでも最近はかなり図々しくなり、「フリーターです!」と明るく言い放ち、笑いを取ってますけど、やっぱりイヤ。自分が何者かが伝わった感じがしない、アノ独特の“空気感”がたまらなく嫌いです。

そもそもなぜ、世間の人たちは「属性」で、自己紹介するのか?とりわけ、誰もが知る大企業や一流と呼ばれる社会的評価の高い企業に勤めてる人、人気のある職種に就いている人ほど、自分が「所属する集団」を明確に伝えたがるのはなぜか?

わざわざこんな質問しなくても、わかりますよね。ええ、そうです。そのとおりです。「属性」で、他者のまなざしが変わることを経験的に知ってるからです。

「○×会社の山田太郎です」と言ったときに、世間は「○×会社なんて、すごい!」と評価する。「△の山田花子です」と職種を名乗った途端、「かっこいい~。優秀なのね」とランク付けする。どんなに社会的評価の高い企業に勤めていても、どんな肩書きをもっていても、ダメな人はいるのに。不思議です。

でも、これが現実。世の中は異常なまでに、属性や肩書きで評価します。

たとえば、私が「ニュースステーション」でお天気キャスターをやっていた時など「あのニュースステーションで!」と、世間はかなり好意的に扱ってくれました。

大学院に行ってからも同じです。「東大」というだけで仕事が増えたり、「東大」というだけで、突然態度を変えられたり。「世の中の人って、こんなに東大ブランドが好きだったんだ」とうんざりしたほどでした。

だから、大企業、一流企業、進学校、お嬢さん学校、お坊ちゃん学校、イケテル職業、……そんないわゆる「社会的地位」の高い会社、学校、肩書きを持っている人ほど、「属性」を語りたがる。「他人に評価されたい」という人間の基本的な欲求(承認の欲求)が満たされ、とにもかくにも、ものすご~く気持ちがいいのです。

周りの評価を気にする人、自己意識の強い人、そういった人たちほど快感に酔いしれ、プライベートでもわざわざ自分の会社を名乗ったり、名刺を配りまくったり、「一流○●会社」「一流××大学」のメンバーであることを臭わす話しをするようになってしまうのです。

なんて書き方をすると、まるで「社会的評価の高い集団」に属することが、悪いみたいになってしまいますが誤解しないでください。属性は人をカタチどるとても大切なモノ。ですから、属性を名乗ること自体は、全く問題はありません。

どこの馬の骨かわからないより、相手に少しでも自分がわかる材料を伝えるのは、ある意味大切です。誇らしげに企業名を告げるのも、全く問題なし。インチキして手に入れたわけじゃないし、自分の所属を語ることである程度の信頼を得るのは、極めて大切な行為。使えるモノはどんどん使って多いに結構です。

そもそも、社会的評価は、SOCを高める大切な「リソースのひ・と・つ」です。前回お話したとおり、SOCを高めるにはいくつかのリソースを手に入れる必要があるのですが、その中のひとつが「社会的評価の高い集団への帰属」なのです。

え? じゃぁ、やっぱりオレはSOC高いじゃないかって? こう見えてもそこそこの大学でてるし、結構有名な会社に勤めてるし……、社会的評価の高い集団のメンバーだぜっ!

はい。アナタのSOCはそれなりに高い可能性はあります。世界各国で行われた調査でも、私が国内のホワイトカラー1000人を対象に行った調査でも、「SOC」と「社会的評価」には、強い関連性が認められています。

また、収入、学歴、住環境などの社会経済的地位(socioeconomic status)も社会的評価同様、SOCを高めるリソースです。ですから……、「オレは名の知れない企業に勤めてるけど、稼ぎはいいぜ!」とドヤ顔をしたアナタのSOCも、おそらくそれなりに高い。

これまでのコラムに登場した、

・「そこそこ出世したんだけど……」と、未来に不安を感じていた47歳の男性(ドゥテルテ大統領の尻編)

・「コンシェルジュを朝っぱらから怒鳴りつけていた」社内的に残念な人(自称“エリート”の尻編)も、SOCが“それなり”に高い人と考えられます。

なんだよ。それなり、それなり、それなり、って! マドロッコしいこと言ってんじゃないよ!だから「河合薫はダメなんだよ!」と口を尖らせたア・ナ・タ!

だから「それなり」なんですよ。だって、本当に高い人はいきなり見ず知らずの私に、ダメ出しはしません。本当にSOCが高い人は、曖昧な不安を悶々と抱え続けたり、もの言わぬ人を怒鳴っ

たり、人を見下したりしない。

だから“それなり”なのです。

逆説的に言うと、社会的評価の高い集団のメンバーじゃなくても、SOCの高い人はいるし、貧困でも学歴が低くてもSOCの高い人もいる。

つまり、SOCを高めるリソースはひとつではない。しかも、そのリソースがSOCを高める確固たる土台になるかは、使い方次第です。どんなリソースを手に入れても使い方を間違うと、自己を貶め、他者を傷つける刃に変わります。

リソースの使い方ーーここがポイントなのです!

社会の中でその集団が持ち得る名声(=社会的評価)は、魔物中の魔物です。年齢をある程度重ね、会社の中での「自分の立ち位置」が明確になればなるほど、その罠にはまりやすくなる、もっとも危険なリソースの王様といっても過言ではありません。

その実態を話しくれたのが、第2秘書室の大御所、玲子さん。49歳です。彼女いわく、「自分のお手柄を自慢するけど、アンタ、その仕事“うちの会社の社員”だから出来てんのよ!って言いたくなる人がいて、そんな人ほど会社にしがみつく」んだと。

男女雇用均等法の第一世代の玲子さんは、社長から新入社員まで、隅から隅まで会社を知りつくした人物です。彼女が勤めるのは、誰もが知る一流企業。その“一流”の魔物に取り付かれたオジさん社員の実態を、彼女が教えてくれたので聞いてみましょう。



玲子「いるんですよね~。会社にどこまでしがみついてんだよ!って喝入れたくなるヤツが。ひとりは同期です。若いときは仕事もできたし、ちょっと勘違いは入ってましたけど、許せる範疇だったのに、最近は全く魅力ないヤツに成り下がりました」

河合「仕事ができた、ってことは、結構出世はしてるんじゃないですか?」

玲子「課長になるまでは順調でしたけど、そのあとが…ダメでしたね。一時期、外資系に転職するっていうウワサがあったんですけど、結局、会社に残った。うち、お給料いいんですよ。だから、有名な外資系にかけるより、実を取ったってことなんでしょうね。その頃から、完全なる“コバンザメ”になりましたね」

河合「得意技は、ヨイショにゴマスリ、ってやつですね(笑)」

玲子「そのとおりです。おまけに、デキる部下に嫉妬して、姑息なことするから最悪です」

河合「姑息なこととは?」

玲子「責任を押し付けたり、お手柄を奪ったり。ありもしないウワサを流したり。幼稚園生並みです。コバンザメのせいで、何人の優秀な若者がつぶされたことか。同期だけに本当に情けなくなります。でも、もうひとりの困ったちゃんには、私も迷惑してるっていうか、ヤツのせいでめちゃくちゃストレスたまってるんですよ~」

河合「それも、40代とか50代ですか?」

玲子「いいえ。60代後半です。定年で顧問になった、元常務です。顧問なんて会社に来る必要ないのに、週4日来る。週4日って、ほぼ毎日。わけわからないでしょ?」

河合「来るだけならいいけど……、ってヤツですか?」

玲子「そのとおりです!会社に来ても黙って座ってりゃ、『はい、ご苦労さん!』でチャンチャンです。ところが、“現役だった頃の部下”を呼びつけて説教したり、私たち人事部のメンバーを呼びつけ、人事に口出すんです。もう、最悪です」

河合「権限もない人に言われても、誰も聞かないですよね?」

玲子「終った人ですからね。晩節を汚すとは、こういうことを言うのでしょうね。私なんて顔にすぐ出ちゃうので、あからさまに迷惑な顔してるのに、ジジイは全く気付かない。裸の王様です。本当、ああはなりたくないですよね~」



………はい、今日もぶった切っていただきました。

さて、“彼ら”のような人アナタの周りにもいるんじゃないでしょうか?

彼らこそが、リソースの罠にはまった、残念な人たちです。彼らは「集団の名声=自分の価値」と勘違いし、「自分は特別の存在」と思い込んでいます。

そりゃあ、誰だって若いときから、自分のサラリーでは行けないような場所を接待で利用したり、普通だったら絶対に接することができない大物と会ったりして、30代そこそこで下請け会社の年上の人から「うちの商品よろしくお願いしますよ」などと頭を下げられれば、自分が何者かであるかのような錯覚に陥っていくことはあるでしょう。

でも、普通はある程度年齢を重ね、自分を客観的に見られるようになると、自分が勘違いしていたことに気付く。だからこそ不安になる。「自分の価値はいかほどか」と。

ところが、人は今あるものを失うことに怖れを感じる習性があるので、「価値あるもの」を手放すのをためらいがちです。で、そうこうしているうちに「気付かないふり症候群」に陥り属性に身を委ね、挙げ句の果てに“コバンザメ”になる。どっぷりと。どこまでもどっぷりと。とことんはまっていくうちに、“裸の王様”に成り下がる。実に切ない末路です。

しかも、“彼ら”は会社の外に出た途端、傍若無人の野蛮なジジイになり下がります。人を見下し、暴言を吐き、俺サマになる。

「そうなったら人間終わりだよね」なんて、他人事のように言っているアナタ!ひょっとしたら、アナタだって罠にはまるかもしれませんよ。いや、ひょっとしたら既に、足を突っ込んでいるのかも。だって、罠というくらいだから、自分では気がついていない。だから、胸に手をあてて考えて欲しいのです。俺は大丈夫か?と。

そして、落とし穴にはまらないために「自己受容(self acceptance)」してください。

自己受容とは、ナルシズム的な自己愛や過剰な自尊心とは異なり、自分のいいところも悪いところも、しっかりと見つめ、自分と共存していこうという感覚です。

さきほど「SOCを作るリソースはいくつもある」と言いましたが、「自己受容」もリソースのひとつです。私の個人的な感覚では、40代以上で「自己受容」ができている人は、例外なくSOCが高い。そして、そういった人たちは決まって“あるコト”を大切にしています。

そのあるコトは? ……次回、お話しましょう。