大学入学共通テスト(センター試験新テスト)モデル問題例「12の不備」を追及する

設問の狙いは優れている。しかし、問い方と採点基準に不備が多すぎる。

これが、国語モデル問題例1の大まかな感想だ(問題例2もおおむね準ずる)。

そして結論としては、こうだ。

50万人規模での記述設問は無理。やるなら従来どおり全てマーク式にするしかない。しかし、それでは国語テストとして有効に機能しない。ゆえに、センター試験の代替テストそのものをまるごと廃止すべきである(少なくとも国語は)。1次試験は廃止。現在の2次試験のみを試験とし、各大学が各大学の基準・方法で試験をする。これが最善だろう。

むろん、記述設問には価値がある。記述させてこそ、思考力を測ることができる。しかし規模として無理なのだから、仕方ない。

私は大学入試制度の専門家ではないので、制度上の解決策については今はこれ以上述べない。私は国語教育の専門家であるから、なぜ「無理」だと言えるのかについて、あくまでも具体的な問題例をもとにして述べることにする。

これを書いている今は、2017/5/17の深夜(つまり5/18未明)。

大学入学共通テスト(仮称)の問題例等は、昨日(5/16)、大学入試センターのサイト上にて公開された(こちらにPDFへのリンクがある)。

直後、すぐに国語の問題例を解いてみた。解答解説も含めて詳細に妥当性を検討した。そして今日、中3~高3の生徒10名に問題を与えてみた(さらにその翌日、中2~高1の生徒9名にも与えたので、中2~高3の19名に与えたということになる)。

そのプロセスにおいて判明したことを、ここに記録しておく次第である。

さて、今回公表されたのは、あくまでも問題例であり、要するに試作品である。

ブラッシュアップされる前段階の試作品を細かに検討しても意味がないか、と思いもしたが、概要PDFを読み、やはり意味あることだと思い直した。

なにしろ、2016年11月に大学1年生400名を対象とした第1回のモニター調査を行い、その結果を踏まえて記述式問題を「厳選し」、今年2017年2月と3月に大学1年生600名を対象とした第2回のモニター調査を行うという、かなり気合の入ったステップを踏んでいるのだ。

ここまでやっているのだから、それなりのクオリティになっているはずだ。ならば、細かな検討の意味もあろうというものだ。

さて、今回一般に公開された国語のモデル問題例は2つ。

問題例1は、資料2つ(図とガイドライン)及び会話文をもとにして小問を4つ解くもの。想定されている回答所要時間は20分。

問題例2は、資料2つ(駐車場の契約書2種類)をもとにして小問を3つ解くもの。想定されている回答所要時間は30分。

こうしてみると問題例2のほうが厄介なのかと思われそうだが、私自身が解いた実感としては明らかに問題例1のほうが厄介だった。

実際、正解率は次のようになっている(表:概要PDF転載)。これを見ると、問題の不備が多いのは問題例1(表の①)のほうであろうと推測される(4つの小問の正解率がバラバラで差が大きすぎるため)。

大学入学共通テスト(仮称)国語問題例1,2の正解率等

そこで私は、主に問題例1を中心に検討し、授業でも問題例1のみを扱った。

というわけで、この記事でも問題例1を中心に述べる。

私は以前から全国学力テストの問題がいかにひどいものであるかを詳細に分析・公開してきた(こちらのmine記事参照)。今回も全く期待していなかったが、意外にも良い点が明確に見つかったのは、素直に嬉しかった。

それは、ひとことで言えば、「求めている技能が明確である小問が多い」ということだ。

具体的には次のとおり。

問題例1

小問1
 一石二鳥を「言いかえる」設問。同等関係整理力が求められている。

小問2 ガイドラインと提案書を「くらべる」設問。対比関係整理力が求められている。

小問3 父と姉の言い分を「くらべる」設問。対比関係整理力が求められている。

小問4 主張から根拠へ(または根拠から主張へ)と「たどる」設問。因果関係整理力が求められている。

このように、求められている技能が非常に分かりやすい。

作成者の違い(※)がそこに関係しているのかどうかは分からないが、全国学力テストとくらべると、見かけでは気づきづらい本質的な部分でクオリティが上がっているのが分かる。これは、間違いなく歓迎すべきことだ。/(※)全国学力テストの作成者は国立教育政策研究所(文科省)。今回の問題例の作成者は株式会社教育測定研究所及び株式会社ベネッセコーポレーションの両方またはどちらか(概要PDFの末尾に記載)。

特に小問1の「一石二鳥の言いかえ」は、「ふくしま式」最大のヒット作『「本当の国語力」が身につく問題集[小学生版]』のP.33、及び『国語読解[完全攻略]22の鉄則(高校受験[必携]ハンドブック)』のP.80にも全く同じ内容で(一石二鳥の言いかえで)問題が掲載されている(まさかパクったか?!……いやいや、まさかね)。

……と、書いたはいいが、ほめられるのはここまで。

あとは、設問及び採点基準の不備の指摘のみとなる。

とりあえず、骨子を羅列しておこう。いずれも詳しくは後述する。

問1

不備1)口語(会話文)ゆえの曖昧さが、いくつかの点で理解を濁らせてしまう。

不備2)「★が何によってどうなることを指すか」と問うているのに、「★が」の語句が模範解答に入っていない。入れる必要があるのかないのか。字数指定がシビアなのでこれは重要。

不備3)「★が」を入れると、「(どう)なる」という言い方で答えにくくなる。

問2 モニター調査の正解率が高いため授業ではパスした。ここでもパスする。

問3

不備4)採点基準によれば、抽象化されたハイレベルな答案が、正しいにもかかわらず不正解になってしまう。「できる子ほどできない問題」の典型。

不備5)「の是非。」が20字に入るのかどうかが分かりづらい(解答用紙次第だが)。

不備6)「の是非。」という指定が、表現上の答えづらさを生み、不正解が増えたと思われる。

問4

不備7)条件4が要求する「引用すべき根拠」として妥当な箇所は、採点基準に示された2箇所以外にも多々あるため、正答が誤答になるケースがいくらでも考えられる。

不備8)条件が多すぎて、書けるものも書けなくなってしまう。

不備9)条件1の文に曖昧な表現がある。

不備10)条件2の文に曖昧な表現がある(2とおりの解釈が可能な表現が2箇所ある)。

不備11)条件4の文に曖昧な表現がある。

不備12)行政への賛成意見しか書けないことに違和感がある。

さて、それぞれより詳しく見ていこう(これをお読みのみなさん。まずは、ご自身で解いてみることが必須です)。

問1

正答及び基準(全ての問いの設問,解答,解説PDFはこちら

不備1)口語(会話文)ゆえの曖昧さが、いくつかの点で理解を濁らせてしまう。

PISA型読解。全国学力テスト。公立中高一貫校適性検査。こういったテストにおける共通点は、非連続型テクスト――ストレートな文章ではない題材、たとえば図・表・グラフ・ポスター・広報資料・公的文書等々――を用いたがるという点だ。会話文も、その意図に沿ったものであると言える。要は、従来の評論読解や小説読解にとにかく抵抗したいというわけだ。あるいは、日常生活に現れてくる種々の現象を、解釈された文章になる前の生々しい姿のままで扱いたいということだ。

でも結局のところそれらは連続型テクスト(文章)の集合体に過ぎなかったり、あるいは文章を図式化しただけであったりするわけで、大差ないのである。

今回の会話文も、結局は単なる文章。

だからいっそのこと説明文に変換してしまえばいいのに、「日常場面」にこだわり「父と姉の会話」に仕立て上げたがために、理解が濁る部分が増えてしまった。

さて、先にリンクした問題の本文を見ながら考えていただきたい。

最初の父のセリフ。

「最近~治安の面が不安だ」の文(1)も、「それが~かもしれない」の文(2)も、「地元の企業~出ているしね」(3)の文も、その発言主体が曖昧なのだ。父の感想が述べられているのだと思って読んでいると、「そこで市としては」と始まる。え? じゃあ、(1)~(3)は、市の考えなの? 「そこで」が指示する範囲は(1)~(3)全部? それともその一部? ここは大切。ここが分からないと、「一石二鳥」を正確に言いかえられない。

もちろん、部分的には簡単だ。

「つまり」の前を見れば、「二鳥」のうちの「1羽」が「観光資源にすること(観光資源化)」であることはすぐ分かる。

すると、「一石」は「景観を守ること」だということになる。これもすぐ分かる(一石とは、1つの石というより、一度石を投げるという動詞のニュアンスでとらえるのが正しい)。

迷うのは、残りのパーツ、「もう1羽」が何なのかということだ。

模範解答・採点基準によれば、その答えは「治安の維持」だ。

たしかに「一石二鳥」という言葉は、本来の目的とは異なる成果(収穫)を得ることができるときに使う。「部屋の大掃除をしていたら、きれいになっただけでなく、探していた指輪も見つかった。一石二鳥だった」というような使い方だ。その意味で、「観光資源化」と「治安維持」はだいぶ異なっており、適していると言える。

しかし、「そこで市としては」の前はあくまで父の感想であり「二鳥」の内容はそこには書かれていないと捉えると、次のような答案が生じうる。

ガイドラインを示すことによって、街の景観が守られ、街が観光資源化されること。

実際、この内容の組み合わせで書かれた答案が、当塾生徒19名中7名いた(37%)。

ちなみに、19名の内訳は以下のとおり。

中2…3名/中3…2名/高1…6名/高2…5名/高3…3名

学年が低いから間違えるというほど内容的難易度の高い題材ではない。学年に関係なく"間違える"わけだ。たとえば高校3年生だけ19名でやっても、ほとんど同様の結果だっただろうと思われる(他の問いも同様)。むろん19名というのは統計上あまり参考にならない分母だが、おおまかなところは推測できる。

なお、大学入試センターの用意した答えと同じ(つまり正解)だったのは、これも19名中7名(37%)。600人モニター調査の43.8%と大差ない。およそ4割だ。

おそらく600人のうちかなりの人数が、今挙げた誤答パターンだったと推測される。

そもそも、会話では父が「ガイドラインを示して景観を守る」と言っており、これは因果関係にとらえ得る(「て」には様々な働きがあり、そのうちの1つが因果関係の接続である)。すると、先の誤答例は内容的には父のセリフに何ら反していないことになる。

この部分について、模範解答では「景観を守るガイドライン」と順序を逆にしてひとくくりにまとめているが、これは「結果―原因」または「目的―手段」をひとくくりにまとめているだけだ。これを分けてしまえば、原因(手段)を「一石」と捉えることができるようになる。

たしかに父は、4つ目のセリフでも空き家について述べており、市のガイドラインに対する父の解釈(一石二鳥)の中に「空き家対策(治安維持)」が含まれている可能性は高い。

しかし、だからと言って、先述の37%が出した“誤答”を積極的にバツにする根拠が明確にあるとも言い難いのである。

さて、問1の残された不備。

不備2)「★が何によってどうなることを指すか」と問うているのに、「★が」の語句が模範解答に入っていない。入れる必要があるのかないのか。字数指定がシビアなのでこれは重要。

「街並み保存地区が何によってどうなることを指すか」と問われたら、普通は「街並み保存地区が」から書き始めるべきである。

たしかに「一石(何によって)」と「二鳥(どうなること)」の内容が分かるようにとの指示があるが、それしか書くなとは言っていない。

ここで「街並み保存地区が」を入れるとする。すると、単に文字数がシビアになるのみでなく、不備3につながることになる。

不備3)「★が」を入れると、「(どう)なる」という言い方で答えにくくなる。

「街並み保存地区が観光資源化する」とは言えるが、「街並み保存地区が治安がよくなる」とは言えない。後者は、仕方ないので「街並み保存地区が治安維持される」などと変換するしかない。この時点で、どうやら主語は無理矢理入れなくてもよさそうだな、と勘づけばよいのだが、律儀な受験生ほどこういうところで苦労することもあるだろう。

だから、主語を入れるか入れないかを指定してしまえばよかったのではないかと思われる。

さて、問3に進もう。

問3

正答及び基準(全ての問いの設問,解答,解説PDFはこちら

不備4)採点基準によれば、抽象化されたハイレベルな答案が、正しいにもかかわらず不正解になってしまう。「できる子ほどできない問題」の典型。

何と言ってもこの問いは600人モニター調査での正解率が3%。つまり、18人しか“正解”しなかったのだ。

しかし私はこの問いを最初から「悪問」だとは思わない。

冒頭にも述べたように、狙いは良質なのだ。

ところが、採点基準がひどい。

どんな良問も、採点基準がひどければ悪問に生まれ変わるということだろう。

あなたが採点者なら、この問3に対する次のような答案をズバリ何点にするだろうか?

求められている自己犠牲を受け入れること(19字)の是非。

自己犠牲。姉と父との対立点を見事に抽象化したひとことであろうと思う(これは私が作った)。

では、これはどうか?

私的なことより公的なことを優先すること(19字)の是非。

これは、当塾の高校生の答案である。十分、正しい。

「感情を優先することの是非」(感情←→理性)、「理想を求めることの是非」(理想←→現実)といった答案を含め、こうした意図的な対比的抽象化を行った答案が19名中4名(21%)。私は日々、こうした「勇気ある抽象化」を行うよう指導している(こちらのmine記事参照)。だからむしろ4名は少ないと思ったくらいであり、今後もっと徹底的に指導しなければと思った次第だ。

さて、模範解答はどうか。

「自己負担」と「個人の自由の制限・制約」についてそれぞれ書かれていないと不正解になるらしい。

これらは、「私的なこと」の具体例である。自己、そして個人という言葉が、それを明確に説明している。しかし、先の高校生の19字は、ほぼ間違いなく、0点になるであろう。

アルバイト採点者には、まずそういう解釈能力がないだろうし、あったとしても、恣意的な採点は許容されない。あくまでも与えられた採点基準に従わなければならない。

まあ、「感情を優先することの是非」、「理想を求めることの是非」という答案は、議論の対立点と呼ぶにはあまりに意味を広げすぎ(抽象化しすぎ)だから満点は与えられないだろうが、途中点は与えたいところだ。しかし少なくとも今回の問題では「途中点付与」のシステムがないようだから、これら抽象化力を備えた答案も、白紙の答案も、全く同じ0点と判断されることになる

こんな理不尽があるだろうか?

これが、何年も議論された「思考力・判断力・表現力を測る新テスト」の完成形だとするならば、ため息を100回ついても足りない。

完成形じゃないだろ、って? ああ、たしかにまだモニター調査段階だ。

しかしおそらく、完成形になっても、こういう採点上の理不尽が消えることはないだろう。

なお、途中点は付与されないため、「自己負担」だけに触れている答案も、0点扱いになる。

モニター調査では、84.7%が「条件の一部を満たす答案」を書いたらしい。そのほとんどは、「自己負担」について書けていたはずだ。

この問3について「自己負担の是非」を挙げられれば、それで少なくとも半分は点数をあげるべきではないのか?

当塾では、勇気ある抽象化を行った4名を除く15名のうち14名が、自己負担について明記できていた。

それはそうと、もう1つの正答条件、「個人の自由の制限・制約」について書くことは、かなり難しいと思われる。

対立点というのは、共通の観点のことだ。

姉も父も、いずれもがセリフの中で明確に触れている必要がある。片方ではダメだ。

この見方に立って細密に文章を振り返りチェックしないと、「自己負担」だけに引っ張られてしまう。

では、細密に文章を振り返りチェックしてみよう。

姉の5つ目のセリフでは、「道路も狭いし、家も古いけど」と述べている。姉の6つ目のセリフでは、「確かに色々と制約があるし、お金もかかるけど」と述べている。

一方、父の最後のセリフでは、「古い家を思うように直すこともできないし、狭い道もそのまま使うっていう不自由」と述べている。

つまり、制約の例としては、姉も父も「家」「道」について例示しながら語っている。

だから、制限・制約が両者の対立点であるという模範解答は、間違ってはいない。

それにしても、うまいこと何度も推敲された、会話らしくない会話だと思う(会話とは普通こんなふうに推敲しないものだ笑)。

何度も推敲された会話文を、細密に振り返りチェックして記述するなんて、これじゃあ完全に「説明文読解」と同じじゃないか。

なぜ、わざわざ会話文にしたのか? それは、先にも述べたとおり、体裁上「日常性」と「非連続性」を出したかっただけだ。PISA型気取りだ。

そんなわけで、まあ「自己負担」と「制約」を入れてそれを模範解答とすることには、反論しない。しかし、「自己犠牲の是非」や「公的なことを優先することの是非」といった答案を正当に評価してもらわないと、困る。

受験生のほうが優れていて、採点者のほうが劣っている。

そのせいで、実はハイレベルな能力を持った受験生が白紙答案の受験生と同等に評価されてしまうのであれば、これほど嘆かわしいことはない。

記述出題の前提条件とは、「採点者の能力が受験生の能力より確実に高い」ことなのである。

それがなし得ないのであれば、記述出題は辞めるしかない。

数千人規模の受験であれば、今回入試センターが述べているような「一枚の答案を複数名で採点し、一致しない場合には上位判定者に協議して決定する多層的な採点体制」を採れるだろうが、50万人でもそれがなし得るのか?

上位判定者の上の上位判定者の上の上位判定者くらいまで用意しないと、無理ではないのか? そうでなければ、上位判定者よりも上位にいる生徒の記述答案を正当に評価することなど、できない。

なにはともあれ、この問3は、私が常日頃から存在を実感している「できる子ほどできない問題」の典型であった。

と、まとめたように見せかけて、まだあった(忘れていた)。

不備5)「の是非。」が20字に入るのかどうかが分かりづらい(解答用紙次第だが)。

不備6)「の是非。」という指定が、表現上の答えづらさを生み、不正解が増えたと思われる。

不備5はもう初歩的な問題すぎるのでパス。ひどいと思うが。

不備6だが、これはおそらく97%の誤答を生んだ要因の1つになったであろう。

たとえば、次の内容で考えてほしい。

A「自分ですべきか他人にしてもらうべきか」

B「自分ですべきかどうか」

C「自分でするということの是非」

A・Bは日常的に子どもたちが発信する(話す・書く)ことができる表現形式であり、扱いやすい。しかしCはどうか。少なくとも、発信はしない。受信(聞く・読む)だけである。

だから、この問いは、うっかりするとこういう表現になってしまう。

A+是非…「自分ですべきか他人にしてもらうべきかの是非」

B+是非…「自分ですべきかどうかの是非」

これらは、正答の条件に書かれた「文末表現が「の是非。」に接続できるもの」という条件に、正確に言えばそぐわない。

だから、こういう答案は不正解になった可能性がある。

自己負担や制限を受け入れるかどうか(17字)の是非。

これが不正解になってしまったのでは、もう、受験生をなぐさめてあげる意外に指導者の方途は見つからないというものだ。

なぜ「~の是非」と指定したのか。

それは、そうしないと字数が増え、その分だけ採点が揺らぐと思ったからだろう。

まあ、結果的にそれが裏目に出たわけだ。

これじゃあ、朝日新聞が書いているように、「受験生の力を識別できない設問」と言わざるを得まい。

さて、実は最もひどいと思われる、次の問いへ進もう。

問4

正答及び基準(全ての問いの設問,解答,解説PDFはこちら

不備7)条件4が要求する「引用すべき根拠」として妥当な箇所は、採点基準に示された2箇所以外にも多々あるため、正答が誤答になるケースがいくらでも考えられる。

「ガイドラインの考え方と姉の意見が一致していると言える根拠を引用せよ」というわけだが、採点基準では、「意識の向上」または「景観を将来の世代に引き継ぐ」のいずれかを必ず入れなければならないらしい。

なぜ「必ず」と言えるのかと言えば、他の「正答の条件」では「~に触れているもの」と表現されているにもかかわらず今回はその表現がなく「引用されているもの」としか書かれていないからである。

しかし、「ガイドラインの考え方と姉の意見が一致していると言える根拠」は、言うまでもなく、これら2点以外にも多々ある。

たとえば、A「伝統的な道路遺構と街並み」も、B「街並みと自然とが呼応」も、C「歴史、文化の特質を尊重」も、D「優れた自然と景観に対して十分配慮」も、E「貴重な財産であることを深く認識」も、書き方次第でどうにでも一致点を示せる。

A・Cは時間性。B・Dは自然との関わり。Eは価値観。

たとえば姉の5つ目のセリフでは、「この街の文化や歴史の一部が途絶えてしまうよね」と言っている。これは時間性の点で一致する。

姉の6つ目のセリフでは、「自然環境も含めて、そうした住環境も大事にしないと」と言っている。これは自然との関わりの点で一致する。

そして姉の最後のセリフでは、「街がさびれていく様子を、ただ黙って見てろってこと?」と半ば怒っている。これは、価値観の点で一致する。そもそも姉は、一貫して「貴重な財産であることを深く認識」していると思われる。

そんなわけで、引用箇所はいくらでも出てくる。

それを「2つが入っていないとダメ」とは、何ごとか。

こんな初歩的で致命的なミスをするとは、採点基準作成者も、問4に来て息切れしてしまったのだろうか。ご愁傷様だ。しかし50万人の命運を握っている立場の人をなぐさめている場合でもない。

不備8)条件が多すぎて、書けるものも書けなくなってしまう。

これはもう率直な感想。受験生も多くが、戸惑ったであろう。東大の読解問題を見よ。いかにシンプルか。記述設問は本来、あのくらいすっきりと問うべきものなのである。

それでは公平性を担保できないというのなら、繰り返すが、辞めるしかない。

不備9)条件1の文に曖昧な表現がある。

「会話体にしなくてよい」とはなんぞ? 「してもよい」のか? どっちかと言えば「しないほうがよい」のか?

たしかに、「してはならない」とすれば「会話体」の厳密な定義にもとづいてチェックしなければならなくなる。だから、禁じることはできない。

だったら、せめて「会話体で書くかどうかは問わない」などという表記をすればよいものを。「しなくてよい」は、さすがに表現力が素人レベルだと言わざるをえない。

不備10)条件2の文に曖昧な表現がある(2とおりの解釈が可能な表現が2箇所ある)。

1箇所目。

【「ガイドラインの基本的な考え方」と、】の最後の「、」が曲者。これでは、

「まず、基本的な考え方を簡潔に示せ。次に、一致する点を簡潔に示せ」

という文にも読める。

2箇所目。

「(ガイドラインの考え方と)姉の意見が一致している点を簡潔に示すこと」という部分が分かりづらい。次の2とおりに読める。

「(ガイドラインの考え方と)姉の意見が一致しているという事実を簡潔に示せ」

「(ガイドラインの考え方と)姉の意見が一致している点がどのような点なのかを簡潔に示せ」

むろん、常識的に読めば後者になるはずだ。

しかし、これは「条件」である。守らなければ0点なのである。受験生の常識に期待せず、それこそ問題例2で取り上げられている契約書の文のように、厳密な表現をすべきではないのか。

常識を疑う目を持つ注意深い受験生ほど、こういうところで迷うのである。

結局、単にこう書けばよかったのだ。

「一致点を簡潔に示すこと」

なんのことはない。問3で書けているではないか。「対立点」と。

「一致点」と言えば、それは間違いなく「どのような点で一致しているのか」の内容を書くことになる。「対立点」も同じだ。

問3では書けているのに、問4では揺らいでいる。

ここでも息切れしたのか?

作問者には、もっと思考力・判断力・表現力を磨いてもらいたい。

不備11)条件4の文に曖昧な表現がある。

これは、当塾の生徒が指摘した点だ。

最後の、【なお、文中では「ガイドライン」と省略してよい】の対象が分からない、と。つまり、「何を」省略してよいのか、と。

これも、常識的に考えれば、「城見市『街並み保存地区』景観保護ガイドラインのあらまし」を省略してよいと言っているのは分かる。

しかし、その高校生生徒は、常識を疑い注意深く考えることのできる論理的思考力を持った生徒だった。

彼は迷った挙句、【引用箇所を具体的に書かずに「ガイドライン」とまとめて書いてしまってもよい】と考えたらしく、そういう答案を書いてきた。

私はそれを聞いて、「なるほどなあ」と感心した。

まあ、あまりに非常識的な考え方ではある。しかし、「え? 何を? 何を省略していいの?」と踏みとどまる姿勢は、褒め称えるに値する。少なくとも、いい加減な条件文を作った出題者よりは、注意深いと思う。

不備12)行政への賛成意見しか書けないことに違和感がある。

これは感想にすぎない。しかし、こういう反感を覚えた人はきっと多かったであろう。

優れた入試問題は、こういうとき「賛成意見で」などと片方で要求することはない。

「賛成か反対かをあなたが決めよ」と言ってくる。

しかしそうなると50万人の採点はできない。

だから、賛成に絞った。

それは、分かる。

でも、それでは記述テストの価値が半減するというものだ。

やはり、辞めるしかない。

既に1万字を超えているのでもうやめたいが、問題例2(駐車場契約書問題)について、一箇所だけ。

新町Pの契約書の第4条。

こんな条文、あり得るのか? 借主の中途解約に触れず、貸主の中途解約についてのみ主張するなんて。こんな異常な契約書、あまり見たことがないのだが。

私はこれまで何度も引越をし、その都度賃貸契約書を目を皿のようにして読んでいるし、自分の塾の契約書も厳密に作成している立場だが。なかなか、お目にかからないタイプだ。

だからこれ、読み慣れている人ほど「借主」と「貸主」を逆に読んでしまい、「え? 何がおかしいの?」と思ってしまわないだろうか。

問3の答えに気づいたときは、ちょっとしたアハ体験であった。

さて、その他、疑問に思った点を書いておこう。

採点基準に明示されていなかったが、こういう場合はどうするのか?

ア)パーツはどれも正しいが、接続がおかしい場合(「AなのにB」と逆接で書くべきところで「AでありB」と並列になっていたり、「CでありD」なら通じるが「CなのでD」になっているため文中にない因果関係が生じていたりするケース)

イ)たとえば40字の中に誤字脱字が1箇所あった場合。

ウ)たとえば40字の中に誤字脱字が10箇所あった場合。

エ)指定された字数より圧倒的に少なかった場合(40字以内で10字とか)。

オ)文末の句点だけ書かれていない場合(文本体は40字ジャストで収まっているが、句点がはみ出るため書かれていないケース)

カ)「~こと」と終えるべき文の末尾が「~から」になっている場合(またはその逆)。

アは、採点者の能力に依存する。50万人ではバイト採点者が多すぎて手に負えない。

イ・ウを同等扱いされてはたまらない。イの答案が誤字脱字以外完全に正しいとして、では許容するのか? じゃあウも許可するのか? 許容する場合、「細かい(こまかい)」と「細い(ほそい)」を混同しているため文意が変わるようなケースではどうするのか?

エは、まあ許容するのだろう。でも、普通の国語指導の現場では暗黙の了解として禁止だ。

オは、まあ禁止なのだろう。でも、普通の国語指導の現場では許容されることのほうが多い気もする。

カは、多くの教師がうなずくだろう。はてさて、どうするのか。

こういったところは、数限りなく生じてくる。

考えうる全てについてあらかじめ基準を作ったとして、それを全バイト採点者が実行できるのか?

実行できたかどうかを、どうチェックするのか?

はてさて。

疑問は、尽きない。