[歴史発想源] <精強の証左・赤備軍団篇> 第二回:主家の確執に身を捧ぐ

甲斐国(山梨県)の戦国大名・武田信玄の快進撃には、飯富虎昌率いる最強の精鋭部隊「赤備え」の存在がありました。「赤備え」の活躍により甲信越に勢力を広げていく武田信玄は、やがて越後の龍・上杉謙信と「川中島の戦い」にて対決することになります。

そして、東の北条氏康、南の今川義元ら強豪たちと「甲相駿三国同盟」を結ぶことになるのですが、これが武田家の運命を揺るがす、そして飯富虎昌の人生をも揺り動かす自体になっていきます…!

赤備えの運命やいかに。

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戦国最強の精鋭部隊「赤備え」を率いた名将たちを描く「精強の証左・赤備軍団篇」(全8回)、第2回をどうぞ!

※副題は便宜上「井伊直政の章」となっていますが、井伊直政だけではなく飯富虎昌、山県昌景、井伊直虎、真田信繁(真田幸村)、井伊直孝など、様々な名将たちが登場します!

▼歴史発想源「精強の証左・赤備軍団篇」〜井伊直政の章〜

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第二回】主家の確執に身を捧ぐ、義信事件

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■ 甲斐武田氏の柱石となる猛虎兄弟

1550年代に入ると、武田信玄はさらに勢力を拡大し、甲斐国から信濃国(=長野県)へとその手を伸ばします。

北信濃に勢力を張る村上義清は、初陣以来連戦連勝の武田信玄に対して人生初の敗戦を与えたものの、飯富虎昌を中心とする武田軍のその後の勢いは凄まじく、もはや抵抗する力がなくなり、日本海側へと逃げ延びます。

その逃げ込んだ先が、越後国(=新潟県)を治める長尾景虎(ながお かげとら)という戦国大名で、これが、後の上杉謙信(うえすぎ けんしん)です。

ここから、戦国史上屈指の有名な戦である、武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」が繰り広げられることになります。



その頃、天下に名を馳せる武田騎馬隊の中に、もう一人の若き猛将が育っていました。…

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