天下に轟く「井伊の赤備え」、ここに誕生!
「三方ヶ原の戦い」で武田信玄の赤備え軍団に散々に痛めつけられた徳川家康が、自軍の中にも赤備え軍団を組織した理由は何なのか。そして、その赤備え軍団を託された武将・井伊直政とは一体何者なのか?
2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』にて養母・井伊直虎が主人公に選ばれたこともあって、徳川四天王の一人・井伊直政にますます注目が集まっています。そんな井伊直政の生きざまの中にも、経営のヒントがいろいろと見つかるでしょう。
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戦国最強の精鋭部隊「赤備え」を率いた名将たちを描く「精強の証左・赤備軍団篇」(全8回)、第4回をどうぞ!
※副題は便宜上「井伊直政の章」となっていますが、井伊直政だけではなく飯富虎昌、山県昌景、井伊直虎、真田信繁(真田幸村)、井伊直孝など、様々な名将たちが登場します!
▼歴史発想源「精強の証左・赤備軍団篇」〜井伊直政の章〜
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【第五回】天下人を護る赤鬼、井伊直政
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■家康に拾われた、女性当主と後継者予定の幼児
武田信玄存命中に「三方ヶ原の戦い」で武田軍の「赤備え」に散々にやられた徳川家康は、武田家滅亡を迎えて、ようやく武田の脅威に怯えることから逃れられました。
この武田家滅亡と同い年、徳川家康が待ちに待った、ある若者の元服の儀が行なわれます。
その若者の名は、井伊万千代(いい まんちよ)です。
井伊万千代は、長らく徳川家康の小姓を務めていた人物です。
もともと井伊氏は、駿河国・遠江国(静岡県)を治めていた今川氏の家臣で、井伊谷(静岡県浜松市)を本拠地にする国人領主の一族でした。
ところが、井伊家の当主・井伊直盛(なおもり)は「桶狭間の戦い」で主君の今川義元と共に戦死し、後を継いだ養子の井伊直親(なおちか)は、今川義元の後継者・今川氏真に謀反を疑われて成敗されてしまうのです。
不運続きの井伊家に残された後継者の候補は、井伊直親の子、虎松(とらまつ)ただ一人でしたが、この虎松、その時わずか2歳の幼児。とても当主など務まるわけがありません。
そこで名乗り出たのが、井伊直親のいとこであり、出家をしていた30歳の女性、祐圓尼(ゆうえんに)です。
2歳の子どもを当主にするようでは、井伊家は適切な後継者がいないという理由で断絶されてしまうので、何としても早急に代わりの当主を立てることが必要です。
そのため祐圓尼は自ら、「井伊直虎(なおとら)」と男性のような名前を名乗るようにして、幼い虎松に代わって井伊氏の当主になることを決めました。
つまり、虎松が大人になって家督を継ぐまでの「仮の井伊家当主」、つなぎのリリーフ社長となったわけです。
当時としては珍しい女性の城主。柴咲コウが主演する2017年放送のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、この井伊直虎を主人公にした作品です。
そんな女性当主・井伊直虎の奮闘ぶりと、幼年の井伊虎松の将来の可能性を見出したのが、落ちぶれた今川家に代わって遠江国を治めるようになった徳川家康でした。
彼はそのまま井伊直虎を井伊家当主として認め、井伊虎松を自分の小姓として出仕させました。
徳川家康は、よっぽど井伊虎松の将来性を見込んだのか、自分の幼名である「竹千代」に倣って、彼に「万千代」という幼名を与えました。
こうして井伊万千代と名を変えた少年は、小姓時代からものすごい活躍を見せていきます。…