[歴史発想源] <精強の証左・赤備軍団篇>第六回:家中随一の信頼「彦根藩三十五万石」

いよいよ天下は、徳川家康の時代へ。徳川軍の精鋭部隊「赤備え」を率いる勇将・井伊直政が、徳川家康の天下取りへの道を切り拓く!

井伊直政が名称たる所以は、ただ敵を斬り倒していくだけの猛将ではなく、所領の発展地盤を作り上げる内政力や、敵対勢力の武将を次々に味方に引き入れる交渉力も兼ね備えていたから。

井伊直政が取り組んだ仕事は、やがて徳川家康の関ヶ原の戦いでの勝利に大きく貢献していくことになります。

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戦国最強の精鋭部隊「赤備え」を率いた名将たちを描く「精強の証左・赤備軍団篇」(全8回)、第4回をどうぞ!

※副題は便宜上「井伊直政の章」となっていますが、井伊直政だけではなく飯富虎昌、山県昌景、井伊直虎、真田信繁(真田幸村)、井伊直孝など、様々な名将たちが登場します!

▼歴史発想源「精強の証左・赤備軍団篇」〜井伊直政の章〜

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【第五回】家中随一の信頼、彦根藩三十五万石

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■ 難攻不落の名城に唯一切り込んだ鬼

「小牧・長久手の戦い」で敵対したものの、豊臣秀吉の巧みな外交戦略によって、豊臣秀吉の臣下となってしまった徳川家康。

最大のライバルであった徳川家康を臣従させたことで、豊臣秀吉は全国統一への道を突き進み、いよいよ最後に残った敵対勢力は小田原城の北条氏のみとなりました。

小田原城は上杉謙信や武田信玄など強豪たちの猛攻にも耐え続けてきた、難攻不落の名城。

北条氏はこの鉄壁の堅城があるために「攻められるものなら攻めてみろ」と、余裕の構えを見せます。

豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、全国の大名を引き連れて大軍勢を成して、この天下の小田原城を取り囲みます。

天正18年(1590年)の「小田原征伐」です。



この小田原征伐、一般的には、豊臣秀吉が圧倒的物資を投入していきなり城外に一夜城を出現させ、小田原城に立てこもる北条軍のモチベーションを一気に低下させて心理的圧迫で降伏を迫った、とされています。

ところが、この小田原征伐の際にただ一隊、難攻不落の小田原城内にまで突っ込んで大暴れをした軍勢がいます。

そう、井伊直政率いる「赤備え」軍団です。

多くの大名が小田原城を囲んでにらみを利かせているだけの状態の中、井伊直政は「赤備え」隊を率いて夜襲をかけ、小田原城内に堂々と突入して北条軍と激突したのです。…

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