10号御料車VR保存プロジェクト [VR研究者による鉄道話]

 著者の趣味は鉄道模型である。このコラムにずっと書いてきたVR関係の話題と全然違うともいえるし、どこか繋がるものがあるともいえる。鉄道趣味者から見たVR,VR研究者から見た鉄道、などの話題も結構面白いのではないかと思い、筆をとっている。どこかでまとめようとは思っている話題なので、折を見てこのコラムに挟んでいきたいと思っている。

 さて、まず最初は鉄道博物館との共同プロジェクトを取り上げよう。上の写真は大宮の鉄道博物館に展示されている「10号御料車」である。御料車とは皇族ご乗用の専用客車であって、これまでに18両が製造されたそうである。その時代時代の工芸の粋が尽くされたという意味で、最高の鉄道車両ということができる。壁面や天井の絹織物はまさに芸術品である。鉄道博物館には18両のうち6両が収蔵されており、全国の鉄道系博物館の中で群を抜いている。もっとも古い車両は明治9年製の初代1号御料車であり、国の重要文化財に指定されている。

 博物館としては、この車内を来館者に体験してもらいたいのはやまやまだが、長い時間の流れがそれを不可能にしている。たとえば、カーテンやソファの繊維は崩壊寸前であり、ちょっと触っただけでも壊れかねない状態である。内部の照明はもちろん生きておらず、満足に室内を見ることさえできない。繊維の保存のためにはある程度の湿気が必要であるにもかかわらず、その環境だと構造部材の鋼材に悪影響が及ぶというジレンマもあり、博物館の苦労は大変なものだそうである。

 そこで、まずはデジタルに現状を保存しておくことが後世に対する義務だろうということで、自発的に立ち上がったのが、「御料車VR保存プロジェクト」である。何を、どの程度、どんな精度で保存すべきかは非常に難しい問題である。現状に影響を与えることなくVR化することには様々な配慮が必要である。極端な話、光を当てることすらためらわれるという状況である。

3Dモデルを作ってCG化すればよいではないかという人はここから先は読む必要はない。ものをとっておくという行為はもっとずっと複雑かつ崇高なもので、CGよりは実画像、実画像よりは物体である。それができないときにどうすればよいかというぎりぎりの選択である。

 この実験的試みに選ばれたのが、新しくて状態の良い「10号御料車」である。この車両は大正11年に英国皇太子の来日に合わせて製造されたもので、国賓乗用車として使用された。シャム国皇太子、満州国皇帝などの乗車記録がある。時代的には木造車両の最後を飾る時代の車両であり、写真からわかるように、御料車中唯一の展望車(展望デッキを持つ車両)である。車体は溜色と呼ばれる赤味の強いマルーン色の漆塗りである。展望台の手すりはおそらく真鍮色で、当時はキラキラと輝いていたに違いない。

 プロジェクトでは、昨年の11月に、まず第1回の車内の全天周画像の取り込みを行った。全天周カメラとしては下の写真のような4Kの半球カメラ2台を組み合わせて使った。当たり前の話であるが、ここで問題になるのが、照明などの置き場所がないということである。とりあえず写真のように、カメラの下部にLEDを並べたが、あくまで仮の姿である。このカメラをどう動かすか。床面はカーペット敷きで、かなり凸凹である。できるだけ安定した軌道で動かさねばならず、本来ならイメージスタビライゼーションなどのソフト技術と、ステディカムなどのようなハード技術の組み合わせが必要である。しかしカメラはそれほど重くすることはできない。簡単な1輪車でカメラを支持するようにしたところ、結構安定な画像が得られたので、今回はこれで行くことにした。

 カメラを車体に触れさせずに、できるだけスムーズに動かすために、学生が息を止めて20メートルの全車長をゆっくり中腰で動かした。さぞかしつらかったと思う。その結果として撮影されたのが下のごとき全天周映像である。壁面の絹織物がきれいに映っており、館長以下、鉄道博物館のメンバーの方々にもまずは喜んでいただいた。(以下次回)