ハーバードで中絶を学ぶPart1 ―アメリカの二項対立、日本の連続性 『 ハーバード留学記Vol.16』  山口真由

 養子や同性婚をテーマに、アメリカの二項対立社会について書いてみた。 だが、これだけでは物足りない。アメリカの二項対立を語るときに絶対に欠かせないテーマは、やはり「中絶」である。この中絶の分野においては、もう絶対に相容れない二つの極と極が激しくお互いを攻撃しあっている分野なのだ。

Pro-Choice(選択ってすばらしい!ビバ、女性の尊厳!!)

v

Pro-Life(命ってすばらしい!ビバ、胎児の命!!)

 つまり、アメリカの場合には「妊婦」v「胎児」の対立構造。

 胎児はいわば妊婦の敵、「自分の身体に関することを自由に選択する権利」を制限する存在として捉えられる。一方の妊婦は胎児の敵、「生まれて来る権利を持っているはずの胎児」の生きる芽を、中絶によってつまんでしまう存在として登場するのである。

 対する日本の中絶に対する考え方はどうだろう。私たちは女性の尊厳と胎児の命を対立するものと考えているだろうか。むしろ、妊婦と胎児はハーモニーを奏でる一体として捉えているのではないだろうか。

 そう、アメリカの二項対立の哲学を学ぶうちに、浮かんできたのは連続性を重んじる日本の哲学。そして、日本の考え方は、次世代へと続く可能性を秘めたものだった。

1. 中絶はなぜそんなに政治問題になるの?

 私が中絶というテーマに興味を持ったのは、はっきりいって意味が分からなかったからである。意味が分からないのはこのテーマの内容ではない。なんで、中絶がこんなに問題になるのよ?というところである。

 日本で暮らす私たちの中で、中絶をする女性について深く心を痛め、または、中絶は女性の権利だと言って戦っている人がどれくらいいるだろう?いや、もちろん、深刻な問題ではある。けれども、自分が中絶を考えているわけでもなく、「娘が・・・」っていう話でもない限り、他人の話であればそれは他人の判断に任せてほっといてあげればよかろうに、というのが私の気持ちだった。

 アメリカでは選挙のたびに中絶が争点となる。かつ、中絶を引き受けるクリニックの前では、女性を病院に入れまいと抗議する人々の集団が、日常的にデモしている。経産省前の原発デモみたいなことが、病院前で起こってるなんて、ちょっと想像できない光景でしょ?みんななぜこんなに中絶について騒ぐわけ?

 Reproductive Rights and Justiceという生殖に関する権利と社会的正義を扱う授業で、私は中絶について学んだ。

 そして、私は中絶がなぜそこまで問題になるか気づいたのである。これは二項対立というアメリカ社会の基本的な構造が、最も色濃く表れるテーマだった。



Pro-Choice(選択ってすばらしい!ビバ、女性の尊厳!!)

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Pro-Life(命ってすばらしい!ビバ、胎児の命!!)

 この二派は耐えることなき争いを繰り返している。そして、この二派の考え方は両方とも、日本人である私にはかなりへんてこりんで、かなりおそろしいものだった。

2. Pro-Life派はおそろしい!

 まず、Pro-Life派は超おそろしい。

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