ハーバードで同性婚を学ぶ Part2―二項対立というアメリカの考え方 『 ハーバード留学記Vol.15』  山口真由

 

 前回は、Obergefell判決という、同性婚を語るうえで絶対に避けては通れない判決を読み解くための前提知識を確認した。今回は、いよいよこの判決の中身に入っていきたい。

 同性婚に賛成するリベラルと反対するコンサーバティブの議論を見ることで、「好き」「嫌い」という感情論を超えて、理論的に考え深く理解する訓練をすることが、目標である。

 でも、これは難しいことではない。なにせアメリカの判決は楽しいのだ。

 弁護士たちはロジックではなくストーリーで人の心を動かそうとする。とっても人間的な判事たちは、ときに遊び心を持って相手を揶揄し、ときに怒りに任せて超絶に皮肉る。判決の向こうに人間が見えるのだ。

 

1. 同性婚に賛成したリベラルたち

 さて、前回アメリカのリベラルな判事4人、コンサーバティブな判事4人について書いた。同性婚の是非を争った、この連邦最高裁判決の結論は…みなさんご存知の通り、リベラル派の4人にスウィンギング・ボートのケネディ判事を加えて5人の過半数が賛成したために、Obergefell判決で同性婚が認められたのだ。

 同性婚に賛成した多数意見は人間の尊厳を繰り返し主張した。

 ひとつ、自分の意志に基づいて結婚するのは、個人の自律的な権利である。ふたつ、結婚という関係は、他に例がないくらいとっても崇高なものである。三つ、子どもを育て家族を営むためにも、結婚によって守られた関係が必要である。四つ、結婚というのは社会秩序の要であって、社会に受け容れられ、評価されるかを含めて、結婚によって有名無形の無数のベネフィットを受けることができる。

 まあ、つまりは、結婚によって個人と個人が結びつく崇高な権利は、人間の尊厳のひとつだというのである。

 アメリカの弁護士たちは、個人のストーリーを語って強い印象を残すストーリーテリングという手法を活用した。原告団の中のひとつのカップルのストーリーに焦点を当て、それを強調したのだ。

 ジョン・アーサーとジェイムズ・オバーゲフェル(Obergefell判決の名前の由来はこの人の名字なのです。)は10年以上付き合い続け、お互いに信頼も厚いゲイカップル、その二人を悲劇が襲う。ジョンがALSという難病にかかったのだ。筋力は衰えていき、もはや自力で動くことはできない。命の灯火が尽きようとするとき、彼が最後に求めたものは結婚だった。しかし、彼らが住んでいたオハイオ州では同性婚は認められていない。病気の進行したジョンは、それでも無理を押してヘリコプターに乗り込み、カップルは、メリーランド州と見なされるヘリコプターの上で結婚式を挙げた。チューブにつながれて、それでも満足そうに笑うジョンの生前の写真は、何よりも雄弁にこの二人の結びつきを物語る。

 ところがである。ジョンの死後、しかしオハイオ州は彼らの結婚を認めず、死してなお彼らの尊厳は踏みにじられた。こんなことが許されるのだろうか、いや生前のジョンの願いをなんとかしてかなえてやりたい、そう思って訴えに出たのがジョンの死の哀しみも冷めやらぬジェイムズである。

 とこういうストーリーを前面に出したのが、アメリカの弁護士たちの見事さ。人の心を動かすのはロジックではなく、ストーリーであると、彼らはよく分かっている。ストーリーテリングというのは、非常に効果的な手法なのである。

 これに心を動かされたケネディ判事は高らかにこう宣言した。

「結婚よりも崇高な人間同士の結びつきはない。愛、忠誠、献身そして家族…一人と一人が合わさって二人になるという単純な話ではなくて、結婚という結びつきにはより大きな価値がある。そして、その価値は死を超えてなお続くものである。法律の名のもとに、等しく人間としての尊厳を求める彼らを前にして、私は憲法が彼らの結婚する権利を保証していることを宣言する。」

 

2. 同性婚に反対したコンサーバティブたち

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