今回は、ハーバードでの全学期を通して、私が最も愛した授業と教授について書きたい。
ジャネット・ハリーという教授は、学生たちにとってはロックスターだった。クレイジーだけど、クールな先生で、そしてとても温かい人だった。彼女との出会いは、私のハーバードでの生活で最も貴重な財産のひとつである。
私は、Feminist Legal Theoryという授業を、ロックスターのジャネット・ハリーから学んだ。すっごく平たく、かつ、俗っぽい言い方をしてしまうと、フェミニスト同士のキャットファイトについて学ぶ授業である。これがめっぽうに面白い。
毎回、いろいろなフェミニストが書いた、いろいろな思想を読み、彼女たちがいかに強烈な個性を持っていて、そしてそれぞれの思想がどのように対立しているかを学んだ。今回は、そのうちのひとつで私が印象に残っているブラック・フェミニストについて書いてみたい。
ブラック・フェミニストとして有名なパトリシア・ウィリアムズとレジーナ・オースティンの二人は、黒人女性インテリ層という共通項から出発しながら、全く異なるゴールにたどり着いた。それを解き明かしていくFeminist Legal Theoryの授業は、毎回、ワクワクとドキドキを私に提供してくれた。
写真はジャネット・ハリー(の写真)と香港のシャロンと私。
1. ジャネット・ハリーというロックスター
ジャネット・ハリーは、私たち学生にとってはロックスターだったと書いた。その書く文章が凝りに凝っていて、クレイジーだけれど、クールな先生だった。
彼女自身は自分のことを「フェミニスト」と思ったことは一度もないと、私に語ったけれど、周囲は彼女を筋金入りのフェミニストと見なしていた。
スタンフォードからハーバードに移ったとき、担当スタッフがうかつにもこのフェミニストを前にして失言を吐いた。
「女性教授の場合には…」と言ったのだ。
こんな失言を筋金入りのフェミニストが見逃すはずがないだろう。
「どういう根拠を以て、私が『女性』だって断言できるの?」と、ジャネット・ハリーは切替したらしい。
かわいそうな担当スタッフはタジタジになってうつむいてしまったようだ。
ポリティカル・コレクトネス(政治的公正、要するに、どんなマイノリティも絶対に差別しませんということ)が行き過ぎたアメリカでは、「男性は…」「女性は…」という表現すら、ジェンダーをステレオタイプ的に捉えていると批判される。それだけ、性差別にセンシティブなのである。
担当スタッフからすると、フェミニスト教授の地雷を踏んだと恐れおののいたことだろう。
この話を、クラスで私たち学生に語った後、ジャネット・ハリーはいたずらっぽく笑った。
「だって、私が本当の意味で女性かどうかなんて確かめようがないじゃない? ヴァギナがついてるから女性っていうのはもはや古いのよ」と。
ね、ロックでしょ?
授業中に「ヴァギナ」なんて言っちゃうから、学生たちはこの人はクレイジーだなと思いつつも、同時にクールだなとも思うのである。