あなたは、自社の商品の原材料が生産されている農地や国まで足を運び、その生産者の思いを自分の耳で聞いたことがありますか? 自社の商品がお客様のところでどのように使われているのか、その目で見に行ったことがありますか?
畳の原材料は、い草。そのい草の生産地はほとんどが熊本県。では、日本全国にいる畳職人の中で、実際に熊本県まで行ってい草を見たことがある人、実際に熊本県の農家の方々と話したことがある人は、いったいどれぐらいいるのでしょう?
畳業界が衰退している原因は、「日本人の畳離れ」「日本人の生活スタイルの変化」ではなく、原材料の生産地も見たことがない、生産者と話をしたこともないような自称プロ・自称職人だらけになったからではないでしょうか…?
大正時代から続く畳店の4代目社長であり、また全国の畳店のネットワークを作ったり、畳職人とい草生産者との交流の場を多く作ったりと畳文化の復権に日々尽力されている、畳職人の鏡芳昭さんに、現在の畳業界が抱えている問題点と、ご自身が取り組んでいる畳復権活動のことについて、ご執筆いただきました。
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▼鏡 芳昭 (かがみ よしあき)
畳職人。山形県寒河江市出身。2008年、曾祖父が大正5年に創業した鏡畳店の4代目社長に就任。全国の畳店のネットワーク「畳屋道場」を設立し、畳屋道場株式会社代表取締役社長に就任。熊本県八代市のイ草生産農家が集まった「和たたみの里 熊本八代生産販売組合」を立ち上げるなど、生産者と畳職人の交流にも注力している。
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『ビジネス発想源 Special』の「各界発想源」にて2012年4月に連載され大きな好評を頂いた『畳職人・鏡芳昭の「伝統文化論」』全5回を、noteに再掲載することになりました。この連載から、これからのインバウンド戦略の構築や新たなビジネスチャンスの発見に活かせるヒントを見つけ出して頂ければ幸いです。
それでは「伝統文化論」、第4回をどうぞ!
※連載当時の、読者の皆さんの質問に鏡芳昭さんがお答えする「Q&A」も掲載致しました!
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●畳職人・鏡芳昭の「伝統文化論」
〜畳を見れば、経済が見える。〜(全5回)
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【第4回】 畳の未来のために、畳屋ができること
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2006年3月10日、私は初めて、畳表の生産地である熊本県八代市を訪れました。
第2回で、い草農家はここ20年で約10分の1まで激減しているとお伝えしましたが、この熊本県八代は、国産畳表の95%以上を生産している、まさに日本の畳表の「最後の砦」です。
八代では現在、約600軒のい草農家が頑張っています。
そこで、私は衝撃を受けました。
恥ずかしながら、長年畳職人をしてきましたが、畳表がどのようにして作られているのか、ほとんど分かっていなかったのです。
正確には、人づてに聞いた情報で、畳表のことを「知ったつもり」になっていたわけですね。
初めて現場を目の当たりにし、ほとんどが知らない事ばかりで、大変なショックを受けました。
畳のことは熟知しているつもりでしたが、実際には「畳のことを知らずに、畳屋をしていた」のです。
八代で私を案内してくれたのは、JAやつしろ職員の谷川隆生さん。
元い草農家の方でした。
当時、い草の担当をされていて、減少し続ける農家を守るために全国を飛び回って、畳屋さんに国産畳の営業をされていました。
い草・畳表に関しては日本で一番の目利きを持っていて、い草農家との信頼関係もとても深い方です。
「やっぱり、よかもんを見なきゃわからん」といって、熊本でもトップのい草農家10軒を案内していただきました。
い草農家の本当の声を聴き、我々は自分たちが何もわかっていなかったことに気づかされました。
この時に、私に「降ってきたもの」があります。
何の根拠もないのですが、「日本の“い草の農業”が終わると、たたみ文化も終わる。」という想いです。
そして、この時の訪問をきっかけに、私は八代に通い続けることになるのですが、私に降ってきたその想いは、やがて確信に変わっていきました。
そこで私は、これからの畳職人は生産現場を実際に訪れて、本当の意味で「畳を知る」ことに邁進しなければならないと感じ、そのような畳屋のネットワークを作ることが急務と考えました。
しかし、最初は生産地に行ってもその考えはなかなか理解されませんでした。
それもそのはず、突然東北からやってきた若造がそんなことを言い出しても、「おまえは何を言っているんだ」と思われて当然です。
しかし私は、その確信を頼りに、生産地を訪れ続けました。
八代に通い始めてから2年目の2008年10月、…