なぜ子供を「稼ぐ子」にさせるべきなのか?
先週から連載を開始した「1億稼ぐ子に育てる教育法」ですが、今回は私が感じている日本の教育の問題意識を考察します。
・従業員量産システムの学校教育
特にこれは日本やアジアの教育様式に見られますが、先生が一方的にしゃべって児童生徒はただそれを聞くだけ、という授業がほとんどです。
講義形式は大人数に対してまとめて知識を伝授するには効率的な一方、それを受け取る方は単に録音機のようなもので、思考停止していると言っても過言ではありません。
疑問を持っても立ち止まることは許されず、もっと興味を持っても深堀りすることも許されず、つまらなくても抜け出すことはできず淡々と授業は続けられ、まだ集中力があっても時間が来れば打ち切られます。
これはやむを得ない面もあるため、学校以外の時間で補ってあげる必要があります。
また、教育カリキュラム自体の問題もあります。
たとえば学習指導要領は政府の人間が作っていますが、それだけでなく多くの教育サービスは、すべて雇われた経験しかない人たちによって作られています。 彼らは実業をやった経験がない。それは学校の先生も同じ。
だから行政や学校(特に大学)が推奨・主催する「キャリア教育」は、基本的には「就職教育」です。大学で進路指導をする職員も雇用されたことしかないから、「就職」という道しか示せないのです。
世の中には3万種類を超える職業があるわけですが、学校教育の中だけで教わるキャリア教育は非常に狭く、特に日本の学校は、「従業員量産システム」の域を出ていないと言えます。
もちろん大学には、基礎研究という重要な役割があります。利益追求型の企業ではとても予算が出ないような研究もできます。何年もお金にならない研究でも、すぐにお金にならない研究でも続けることができます。
これは大学にしか担えない重要な役割ですから、不可欠な分野はあるでしょう。さらに大学院などで研究や教育の世界に進むことも、大切なことではあります。
しかし、たとえばお金を稼ぐための学問領域である商学部、経営学部を卒業しても、何の商売もできないのは、いったいどういうことか。経済学部で経済理論を勉強しても、ビジネスモデルを作れないのはなぜなのか。
かつてダブルスクールが流行り、在学中に専門学校に通って公的資格を取得する人も数多くいました。私もその一人でした。
しかし現在、司法試験や公認会計士試験を突破しても就職先がない人も多いそうです。
「大学は就職予備校ではない」という批判がありますが、ならば就職ではなく自らビジネスを立ち上げられる人材を養成できるのかというと、それもできない。
膨大な学費と時間を費やして最高学府まで進学したにももかかわらず、卒業後はどこかに就職しなければ生きていけない。会社に雇われなければ生きていけない。そんな教育に疑問を感じずにはいられません。
21歳にもなって誰かの傘の下に入らなければ生活が立ち行かない(つまり自立できない)教育とは、いったい何なのか。
そう考えた時、今の日本の学校教育、そして大学進学は、それほど重要なパス(道)なのか、という疑問が湧いてきます。
私はサラリーマンも起業家も両方経験しているため、自分で事業をすることの素晴らしさを実感していますし、起業家が増えることは国の活力にもなると思っています。
だから子どもには、両方の選択肢があることを知ってもらいたい。どちらを選ぶかは子ども自身の判断に任せるとしても、やはり未来への選択肢を広げられる教育をしたいと考えています。