なぜ子供を「稼ぐ子」にさせるべきなのか?
これまで、いくつかの本やネットコラムで私の子育て観をバラバラと紹介してきましたが、改めて1冊の本としてまとめ、来年初頭に刊行されることになりました。
私自身、自分の子育て(しかも自閉症という、定型発達の子には通用しない育児が求められる)に興味関心があり、同時に日本の教育システムへの不信感もあり、書籍として発表する価値があると考え引き受けた本です。
これは前回まで連載していた子どもの金銭教育ではなく、もっと広く教育を問うもので、「問う、考える、発表する」などを通じて起業家マインドを養おうというコンセプトです。
それでいろいろ文献を調べているのですが、これは子育て中の親だけではなく、全ての大人にも学ぶことが多いと考えています。
現時点での仮タイトルは 「1億稼ぐ 子どもの育て方」ですが、どのように感じたでしょうか。
もしかすると、「お金にがめつい子になる」「「お金のことばかり執着するのではないか」と感じたかもしれません。
しかしそうではなく、ここで目指すのは「自立し、自分の力で人生を切り開ける人間になってほしい」ということです。
それを体現したのが「1億稼ぐ」ということであり、端的にわかりやすいキーワードとして使っています。
金額はともかく他人よりもずば抜けて稼げるようになれば、たとえば学歴のことなど誰も気にしないでしょうし、稼ぐ自身は生きる自信になります。
他人の目を気にしなくても、誰かに依存しなくても、独力で生きていくことができる。これこそ本当の意味での自立ではないでしょうか。
ではどうすれば年収1億などと、非常識なほど稼ぐことができるのか。
そもそも「稼ぐ」とは「人や社会の役に立つ」ということですから、世の中の問題を発見し、それを解決する能力が求められます。つまり、「課題発見能力」「「新しいことに挑戦する姿勢」「問題解決能力」が必要です。
また、今までに成しえなかったことを実現させるから稼げるわけで、それは「自分の頭で考える力」「自己責任で判断する度量」「現状に甘んじないイノベーション志向」「困難にもめげず進める精神力」につながります。
さらに、物心がついたころからインターネットがあり、スマートフォンなどのデジタルデバイスがあり、SNSがある時代ですから、「世界とつながる」ことが当たり前の価値観になっているでしょう。
ということは、文化や価値観が異なる人たちと「協創できるコミュニケーション能力」も必要で、彼らを率いたり束ねたり動かしたりする「グローバルなリーダーシップ」「も求められる。
その結果が収入に反映されるわけです。
そしてこれらの能力を高い次元で獲得できれば、人生で直面するたいていの問題は乗り越えられるし、人生に絶望するという場面も減るでしょう。
つまり収入とは単なる結果に過ぎず、本質的に重要なことは1億稼ぐ土台となる能力の獲得にあるのです。
そう考えると、今の学校教育だけでは不十分だと思えてこないでしょうか。
集団生活の中ではどうしても同調を強いられますし、学校の先生すべてが上記の能力を持ち、生徒に適切に伝えることができるとは限りません。
もちろん、学力の高さは思考能力の高さとある程度は比例するので、子どもの学力向上のため、塾や受験や有名校・難関校への進学にお金をかけるという教育もあるとは思います。
しかし私は、受験や進学一辺倒の従来の教育は、もしかしたら使い物にならない子を育てるリスクがあるのではないかという危機感を持っています。
それはなぜかというと、子どもが成人する20年後には、現在よりも学力や学歴の価値は低下するだろうという仮説があるからです。
・20年一時代のサイクルはもっと短くなる
私が子どものころは、電話と言えばダイヤル式の黒電話しかなく、テレビはブラウン管でチャンネルをガチャガチャのように回すタイプ。音楽を聴くにはカセットテープレコーダーで録音して家でしか聞けなかった。
また、娯楽も少なかったため、家と学校の外の世界、つまり大人の世界や自国以外の世界に触れる機会はほとんどありませんでした。
しかしそれから約40年。私の息子は1歳のときから海外に連れて行っていますし、2歳にしてタブレット端末を操っています。
つまり現代の子どもたちは、私たち親世代とはまったく違うやり方で世界に向き合っているわけです。
私たちでさえ大きな変化だと感じるのに、戦後の焼野原の中から這い上がってきた私たちの親世代からすれば、激変と言っても過言ではない変化ではないかと思います。
そしてその変化のスピードはますます加速してるように感じます。特にインターネット前後の加速度が顕著で、人間はすでに将棋も囲碁もチェスもAIには勝てないし、車の自動運転もすぐそこ、ドローンによる宅配もすぐ目前に迫る勢いです。
だとすれば、いまの子どもたちが成人するころ、あるいは40代になる頃には、私たちが経験した以上の想像もつかない、まったく未知の世界を生きていくことになります。
そんな時代でも適応できる土台を作るのが私たち親の役目です。
・イノベーターしか生き残れない
そこで今後の連載では、起業家精神を育みにはどうすればよいか?という考察をしています。
そもそも起業家精神とは、衣食住と同じくらい人間の本性に根差したもので、自らの知恵と努力と才覚で生きて行こうという生々しい生存欲求です。誰も守ってくれる者はおらず、頼れるものは自分自身という自己責任意識です。新しいこと、未知のことに挑戦する姿勢は、人間だけが持つ知的好奇心です。
これらは文字通りに起業するかどうかには関係なく、どんな職業にも求められる姿勢ではないでしょうか。
また、起業家精神の教育の根底にあるのは、イノベーター人材の育成です。社会の課題を発見し、それを深く考察し、解決策を練り、周囲の人と協創しながら、世の中を変革していく。
この一連のプロセスはAIやロボットでは代替できず、真に人間のみが成し遂げることができることです。
つまり、資本主義社会で生き残るために最後に残された役割がイノベーターであり、イノベーターとそうでない人の間には、埋めようのない大きな格差がさらに開いていく、というのが私の予測です。
しかし学校教育では、そういう能力は封じ込められるのが常です。
学校という集団の中で学習進度も一定で、個々それぞれの字度生徒の興味関心を掘り下げていくことはできない。
また、集団生活ゆえに多様性はむしろ邪魔になる場面が多く、異なる価値観や考え方を認め受け入れ、それをさらに発展させていくという授業もとりにくい。
確かに2020年からの大学入試改革とそれに伴う教育改革によって、たとえばアクティブラーニングなど生徒が積極的に関与するインタラクティブな授業が採用されるなど変革の兆しはあります。
その新学習指導要領も、近年ではかなり大ナタに近い教育改革で、大学入試を筆頭に小中学校の教育内容もグローバル社会に対応できる人材を育成する方向へ舵が切られようとはしています。
しかしゆとり教育の時と同様、教員サイドがそれについていけるでしょうか。
おそらく学校ごと、教員ごとにレベルはバラバラで、本来のアクティブラーニングが実施される学校はほとんどないだろうと私は思っています。
それに、そもそもその「グローバルで通用する」とはどういうことかわからない学校現場では、表面的な指導しかできないでしょう。
つまり学校学校教育のみでは、将来を生き残っていける人材育成にはほど遠いというのが私の予想です。
・起業力があれば選択肢が増える
会社員であれば、投資銀行や経営コンサルタント、勤務弁護士など一部の特殊な職業を除き、年収1億円を稼ぐのは現実的にはほぼ不可能だと思います。
青天井に稼ぐには、事業家になる必要があります。つまり1億稼ぐ能力とは、自分で事業を起こして成長させる能力といっても過言ではありません。
だからといって起業がすべてと言っているわけではなく、仮にサラリーマンであってもその能力や資質が発揮されれば、いまの会社内でエース的な地位を手にすることになるでしょう。
年収ベースでは1千万かもしれないし2千万円かもしれなくても、将来を嘱望される人材として解雇されるリスクは低減し、転職も可能、仮に会社がなくなっても自分で起業が可能というふうに、雇われても雇われなくても生きられるわけで、選択肢が増えます。
それはつまり、「好きなことをして生きる」人生の獲得にもつながります。
なぜなら、お金持ちになるにはたくさんの道がありますが、でもそのプロセスを楽しめなければ、幸せな人生とは言えないからです。
たとえば自分に向いていない仕事なのにイヤイヤ働いて年収1,500万円、ストレス発散のために飲んだり買い物したり。
ほかにも、がむしゃらに働いて年収1,500万円、でも家庭を顧みず離婚で一家離散という話を聞くこともありますが、そんな生活は誰も望んでいないでしょう。
やはり「この仕事が楽しい」「やりがいや充実感がある」という前提での高所得が望ましいのは言うまでもありません。
そのためにはやはり「起業力」をはぐくむ教育が必要だと、私が実際に起業してみて痛切に感じています。