日本人:蒙古襲来の勝敗・・・子供たちに正しい歴史を!~武田邦彦集中講座 

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◆学者による「歴史の私物化」で、間違った歴史を教えられる子供たち

学校で学ぶ日本の歴史がなぜ「ウソ」を教えるのか、日本七不思議の一つです。古代では、「卑弥呼の倭の国の王」が書かれている魏志倭人伝は教えますが、大和朝廷の存在を示した旧唐書(「くとうじょ」と読む)には全く触れないというようにかなり偏って教えています。そのためにほとんどの日本人が古代の日本の歴史を間違って覚えてしまうという結果になります。

それは歴史の学会や教科書の執筆者が「私物化」されているからで、純粋に学問の議論ではなく、学者の間で権威とか勝った負けたというような世俗的なことが中心となり、正しい歴史の議論が忘れられ、その結果、関係のない子供たちがその影響を受けているというわけです。

「蒙古襲来」もその一つで、ほとんどの日本人は「鎌倉時代に蒙古が襲来し、とても勝ち目がなかったが、神風(台風)が吹いて九死に一生を得た」と教えられます。著者もそう思っていました。

ところが長じて自分で蒙古襲来の戦闘を詳しく調べますと、学校で習った状態とかなり違うのです。元寇は「文永の役」と言われる第一回戦と、中国で宋が滅亡し、元のフビライが中国を統一してから宋の海軍も含めた軍を派遣してきた「弘安の役」と二回ありますが、いずれも戦闘は互角、あるいは少し日本軍が優勢だったといえるでしょう。

最初の文永の戦いでは、北九州の海岸線に上陸した元軍は、赤坂などで日本の主力と遭遇して激戦を展開し、主戦場では元軍の敗退、他の戦闘では日本軍が敗退するという互角の戦いでした。

もし、学校で習ったように元軍が勝利していたなら、元軍は船に引き返さずに陸に陣地を作ったと考えられ、元軍が勝利したでしょう。でも戦いが互角だったので、元軍は陸に陣地を張り夜襲を警戒することは無理と考えて船に戻りました。

さらに、総大将クラスが重傷を負っていたことなどがあって、戦意を失い2日目は戦うのをやめて船を引き返すという決定をしています。元軍が強風にあったのは引き揚げた途中で、荒れた玄界灘でシケにあい大損害を受けました。つまり「神風」というのがあるとすると、それは「戦いが終わった後」だったのです。

◆蒙古襲来の「神風」は偶然の産物ではなく、ただの台風シーズンだった

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