他人をバカにすることで生きる男たち――⑤人事好き男の“ウラの顔”

【他人をバカにすることで生きる男たち――⑤人事好き男の“ウラの顔”】

前号から続いています)

私は「女だから」と自ら限界も設けたことも、「男だから」と相手を区別したこともありません。でも、やっぱり「女にはわからないんだよね~」ってことが、現実にはある。

「え? ソコかいっ!?」と脳内が???で埋め尽くされ、「んなもん気にするなツーの」と私の内部に潜む男性性がムクムクと頭を擡げるのです。

ん? “私の内部の男性性”……? ってことは「男だから」ってわけじゃない?

そうです。そのとおりです。

脳科学者たちは「すべての解は脳が知っている」とばかりに、男女の考え方や反応の違いを、脳機能の性差で片付けようとしますが、私は健康社会学です。

健康社会学では“個人特性”以上に、その個人を取り巻く“環境の影響”に着目します。

人は環境で変わる―――。これが健康社会学の考え方。

つまり、女たちが眉をひそめる「男たちの言動」は、彼らを取り囲む環境に起因する可能性が高い。たとえば「社内人事」です。ビジネスマンの「人事」に異常なまで翻弄される姿には、私自身幾度となく驚かされてきました。

なぜ、女たちが無頓着な「人事」に、男たちは盛り上がるのか? なぜ、男たちは「左遷」に、あそこまで落ち込むのか?

大型連載「他人をバカにすることで生きる男たち」の第5回目のテーマは、「人事好き男のウラの顔」です。

今回は第2秘書室のメンバーとの鼎談から、スタートしましょう。

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アユミ「社内人事ほど、男女で捉え方が違うモノはありません。女性の場合、その仕事をやりたいとかやりたくないとかで判断します。でも男性は、誰それが栄転だの外されただの、異様なほど騒ぎ立てる。自説を交え、ウラのウラまで読もうとするんです」

玲子「ウラなんてないのに。アホくさって感じですよ~(笑)」

カワイ「へ? 人事のウラって、ないんですか?」

アユミ「人事部だけが知ってるトップシークレットがある、って普通は思いますよね?ところが、ありそうでない。これが人事部内のシークレットです(笑)。人事異動の9割は“たまたまの結果”です。昇進させなきゃならない社員や、『アイツが欲しい』と上司からオーダーが来る社員は、ごく一部です。

誰かが抜ければ、その穴を埋める必要が当然出てきますよね。でも、これが結構難しくて、人の能力や経験は一様ではないので、たったひとつの穴があくだけで、何人かの異動が始まるんです」

玲子「だから個々の人事異動に、深い意味はないんです」

カワイ「でも、飛ばされるとかラインから外される、ってことはあるんですよね?」

玲子「それもビミョ~ですよ」

アユミ「確かにビミョウ!(笑)だって勝手に本人が“左遷”って思い込むんだもん」

カワイ「実際には、左遷でも外された訳もなんでもないのに?」

玲子「そうです。昔はお決まりのルートがある程度ありましたけど、今はすべてが流動的。しかも“ポスト”は年々減っています。だから自分の処遇に不満を持った人が『左遷された』って勝手に解釈するんです」

アユミ「異動になった半数くらいは、左遷だって思い込んでるんじゃないかな?」

玲子「私はもっと多いと思う。7割くらい?」

カワイ「7割って(笑)。ほぼほぼの人が人事のたびに『左遷された~』って落ち込むって、どんな人事なんですか」

玲子「だから盛り上がるんです!」

アユミ「『アイツはもっと評価されるべきだ』『あんなお調子モン持ってきてどうする』とか、他人の異動まで口をはさむ。正義の振りかざしごっこの嵐ですよ」

玲子「正義と言う名の“不満”(苦笑)」

アユミ「で、私たちのこともディスる」

カワイ「お前らのせいで俺が飛ばされた、とか?」

玲子「さすがにそれはないです(苦笑)。でも『女は自由でいいよなぁ~』ってイヤミったらしく言うんです」

アユミ「結局、役職が上がったり、花形の部署に行きたいだけなんですよ~」

カワイ「いっそのこと『僕は出世したいので、昇進させてください!』って、言えばいいのに(苦笑)」

アユミ「そんなことしたら、息の根を止められますよ(笑)」

玲子「失敗もしないけど成功もしない、よく動くけど勝手には動かない、下には意見するけど上には意見しない。この3つの条件を満たす人が、いちばん出世します。コレが、社内人事の鉄則です!」

……さて、これくらいにしておきましょうか。

 以前も登場した玲子さん、覚えてますよね?「会社にしがみつくエリートの実態」を話してくれた、第2秘書の大御所です。アユミさんは彼女の部下。容赦ない毒舌がウリの34歳です。

男性たちにとっては「耳の痛い」話しばかりだったかもしれませんが、さすが第2秘書室のメンバーです。彼女たちは実に見事に男たちの尻、いやいや心理を捉えてます。

女たちは自由でいいよなーー。男性たちが女性にむける、この一言こそが、男性が人事にこだわる深層心理です。

ひとつの組織で長年サラリーマンをやっていると、役職の差で自分の意見が通らなかったという経験を誰もがします。おまけに、上司のオーダーといったら、ムリなことばかりです。

・この人数でそんなのムリ

・この予算でそんなのムリ

・この期間でそんなのムリ

そんなムリムリ攻撃から逃れて、自由になりたい。そのためには、自分が上司のポジションに上り詰めるしかない。男性たちは日々の息苦しさから逃れるために、自由を欲し、出世を追い求める。

「出世」という言葉を使うと、「別に出世が目的じゃないよ!」と口を尖らせる人がいるかもしれませんね。では、「権力」と言い換えましょう。

権力――。あまりいい言葉ではありません。

権力とカネ、権力とセクハラ、権力と暴力、といった具合に、権力者が正しくない行動に手を染めることが多いからでしょうか。常に、権力にはマイナスイメージが付きまといます。

しかしながら、権力とは「自分で自由に決めることができる権利」です。

「自分で自由に決めることができる権利がある」という感覚は、SOCの大切なリソースの一つで、職務満足感や人生満足感を高め、寿命をも左右することがいくつかもの調査結果からわかっています。

つまり、男性たちにとって「人事異動」とは、組織で「自由」を手に入れられる唯一のチャンス。上司にアレコレ指図されなくていいように、理不尽な扱いを受けなくていいように、「権力」が欲しい。

その結果「出世しない限り左遷」などという、男社会の“常識”が出来上がるのです。

会社という組織では「自由」と「権力」は同義になり、上を目指して出世していくことだけが、男たちが欲す自由を拡大し、仕事の満足感、達成感を高めていきます。

しかしながら、人事は決して望みどおりにいきません。自分の思ったとおりに、評価してもらえません。

なぜか?

実は「評価」というのは「自分以外の誰か=他者」だけじゃなく、自分自身も行っているからです。

「平均以上効果」という心理用語があるのですが、自分を「平均以下」と評する人はごくまれで、大抵は自己評価を高く見積もっています。このちょっとだけ高い「自己評価」と、「他者評価」のギャップが不満につながります。

第2秘書室のメンバーは「5~7割は評価に不満をもっている」としていましたが、これはあながち間違った数字ではありません。

アメリカでの研究結果になりますけど、評価が明確だとされるアメリカでさえ、労働者の48%が職場で評価されていないと感じていると報告されているのです(アメリカ心理学会)。

評価が曖昧な日本なら、48%の2割増しくらいの人が不満をもっていたとしても、決して不思議ではないですよね。

おまけに権力には、ある種の心地よさを人にもたらす効果があるので、役職が高く、より権力のある人ほど、

・失敗もしないけど成功もしない部下

・よく動くけど勝手には動かない部下

・下には意見するけど上には意見しない部下

といった「自分の地位を脅かさない部下」が大好き。

そうです。“出世3条件”ができあがるのです。

人は権力を厭うくせに、権力を人は好むーーー。この多いなる矛盾が、人事異動に男性たちが盛り上がる理由です。

自由を手に入れたい気持ちは、よ~くわかります。男であれ、女であれ、自由でいたい。私も40代になってから、特にそう思うようになりました。「ここまでそこそこやってきた」という自負心が、自由を欲するのです。

でもね、当然ながら上にいけばいくほど、用意されたイスは減っていくわけです。

権力に溺れるという言葉があるように、課長より部長代理、部長代理より部長といった具合に、より大きな権力を求め、「出世」だけにこだわるようになり、派閥やらなんやら社内の権力抗争に巻き込まれ……、次第に仕事と向き合うのが、おろそかになる(前回のコラムを読み返してくださいね)。

人間は、そういう愚かさを持ち合わせている。

そこで今一度、権力を「自分で自由に決めることができる権利があるという感覚」と定義する、健康社会学の視点を思い出して欲しいのです。

そうです。感覚。感覚なのです。「権利」は与えられなきゃ持てないけれど、「権利があるという感覚」は、自分次第でどうにでもなります。

「私の仕事は雑用ばかり。朝、会社に行って上司にお茶を入れて、頼まれたコピーを取って、ファイルの整理をする。まるでロボットです」と、感じながら働いている人と、

「私の仕事は雑用ばかりですけど、自分なりに工夫してるんです。お茶を出すのだって、いっそのこと『お茶入れのプロになってやろう!』と思って、お茶の入れ方を徹底的に勉強しました。そしたら『なんか最近、お茶入れるのうまくなったな』って褒められてうれしかったです。コピーも頼まれそうな頃を見計らって、『それコピーしましょうか?』と自分から聞くんです」と、自分で決めて働いている人。

明らかに後者の人の方が、前向きで元気だし、職務満足感が高いし、SOCが高いと思いませんか?

つまり、自由というのは0か100かというものじゃない。

どんなに「何も自由に決めることなんかできないよ。決められたことだけ、やるだけだ」と思うような環境でも、捕われの身となって強制労働させられているわけじゃないのだから、自由がゼロなんてことはありえません。

少しだけ見方を変えることで、1つ、また1つ、と自由を増やすことができる力を人間は持っています。

人は環境で変わります。でも、人は環境を変える力も秘めています。

その力をいかに発揮するかが、40代以降の幸福度を決めます。その話しは次回、お話することにいたしましょう。



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