「お金がすべて」から「人がすべて」へ回帰する 武田邦彦集中講座『変わりそうな日本社会(8)』

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◆日本はいつの時代から「お金のために仕事をする」ようになったのか

日本社会というのは、かつて「人を中心とした社会」でした。すでに現在では「なんでもお金の時代」になっているので、なかなか昔の日本を思い出すのは大変ですが、少しずつ振り返ってみて「かつての日本の生活」を描写してみたいと思います。

今から約50年前、南海ホークスの鶴岡監督が選手に「グラウンドにはゼニが転がっている」と言った言葉が伝えられると、「野球が好きだから野球をやっている」と思っていた私などはその意味が理解できませんでした。まだプロの世界でも「トレード」という行為はもちろん「契約金」を話すことすらはばかられた時代で、「お金のために野球をやるなんて!」と軽蔑されたものです。

どの仕事でも、報酬やお礼(今で言えば契約金)の額を聞いて仕事をするのは汚いことで、仕事をやった後、お布施のように「お礼として包まれたお金」を事後にもらうのが普通の時代だったからです。

次は、一気に江戸時代まで遡りますが、江戸の職人は「ガキとカカアのメシを稼げば、後は自分が満足するまで。満足したら遊ぶ」というのがモットーで、朝の9時から働き出すと、おおよそ11時には「ガキとカカアのメシ」、つまり生活費を稼ぐのが終わり、次は自分の職人としてのプライドを満足させる仕事をし、それが終わると大体、午後の2時には遊びに出たと言われています。

また、幕末に多くの外人が日本に来たときに、日本社会がお金ではなく、誠意で動いているのを見てびっくりしています。その一つに、日本の渡し船の船頭が渡し賃を誤魔化さないのに驚いている記述があります。渡し船というのは川を渡すのですから、船に乗る前にお金を払い、渡り終えてウソに引っかかったとわかっても、船はすでに川を反対側に向かっているのでどうにもなりません。そこで「日本を除く世界各国」では、10銭の渡し代金なら必ずその倍の20銭とウソを言ったとされています。それなのに日本の船頭だけが外人に対しても誤魔化さずに正しい金額を言ったのです。

つまり、日本の船頭は「お金をもらうために人を渡しているのではなく、自分の仕事として渡し、その駄賃としてお金をいただく」と他の国とは順序が逆だったからです。

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