◆なぜ日本でアヘンなどの「痲薬」が流行しなかったのか
最近の食と健康というと、「血圧の基準130」や「悪玉コレステロール」がでてきますが、なんとなく自分の主張だけが正しいと思っているような気がします。そのような強引で傲慢な言い方は本来の日本人には無いもので、相当、頭脳が硬直化してきたのがわかります。実は江戸時代までの日本人というのは、とても融通無碍で人情深く、誠意ある国民だったと思われます。それは多くの著述物からみることができます。
幕末に日本の田舎を旅した女流作家が、ある宿を出るとき、そこの女中さんに良くしてもらったので心付けを渡そうとしたら、「私は普通のことをしただけですので、受け取ることはできません」と言っています。この手の話は多く残されていて、日本人がお金ではなく誠意をもとに暮らしていたことがわかります。
江戸時代は参勤交代があり、街道筋を大名が行列を作って通り、そのたびに庶民は土下座したのですが、そのときに土下座している庶民は「大名だからといって隣のあんちゃんと違うわけではない」と心では思っていたと言われます。このことが百姓上がりの豊臣秀吉が関白まで上り詰めた原動力になっていますし、日本に奴隷がいなかった一因でもあります。
ところで、世界各国がアヘンなどの痲薬に苦しみ、厳しい取締をしたのは歴史的事実ですが、日本は大東亜戦争に負けてアメリカに占領されるまで、2000年の歴史で一度も痲薬を吸う習慣もなく、従ってお殿様が痲薬の規制をしたことがありませんでした。
アヘン戦争で有名な中国は隣の国で、漢字や生活習慣の多くが中国から渡ってきたのですが、それでも日本人がアヘンを吸うことはありませんでした。また、痲薬の世界的な生産地のビルマ(現在のミャンマー)やタイなどとの交易もあったのですが、影響を受けることは無かったのです。
それより日本で「麻」というと「大麻」(マリファナの原料)のことでしたが、大麻を衣服やゲタの鼻緒などに多く利用していても、大麻を吸う人はいなかったのです。ちなみに痲薬の痲はしびれるという意味で、大麻の麻は植物の麻を意味していて、もともと意味自体が違うのです。
また、貝塚で有名なモースは、書籍の中で「鍵を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りをしても、触っていけないものは決して手を触れぬ」と書き残していますが、まさに「してはいけないことはしない」というのが日本の文化だったのです。
自分のことは自分で考え、常に誠実で他人の恩を感じ、してはいけないことを自分で判断してしない…そんな素晴らしい社会の中で日本人は幸福に生活をしてきたのです。