1/1000の東京とVR  [世界VR史]

 東京の山手線内側のほぼ全域にわたる1/1000都市模型を森ビルが持っていることをご存じだろうか。東京タワーがちょうど30cmぐらいになる。今回はそのルーツとVRにかかわる話題である。

写真提供:森ビル

 東京・六本木にあるアークヒルズは、日本初の本格的インテリジェントビルとして1986年に完成した。創業者の強力な意思により、37階建てのオフィス棟の地下に、アーク都市塾という企業や大学の研究者、学生などのたまり場が作られた。そこで色々な(インフォーマルかつユニークな)研究活動が行われていたことはこの記事で書いたことがある。

 1/1000都市模型はそこで生まれた。作ったのは「環境シミュレーションラボ」というバーチャルな研究組織である。スタイロフォームのブロックにフォトショップで加工・印刷したビル側面のテクスチャを貼り付けて作った簡易な建築模型を並べ、効率よく都市模型をつくったのである。それを3次元空間を自由に移動できる手作りのシュノーケルカメラで眺めると、まるで歩行者の視点から見ているような都市景観を再現しることができる。

 この試みは、都市模型のあり方を根底から変えた。これまで、都市模型と言えば、まさに鳥の目からのように、上空から眺めるものだった。しかし、我々はそんな視点から眺めているのではない。本来の都市の見え方は、地に足をつけた視点からのものであるはずである。シュノーケルカメラに映った映像は、町を歩く人ひとりひとりの視点なのだ。都市計画にはマクロな視点とミクロの視点の両方が必要だが、両者の見事な融合が見て取れる。

 都市計画では色々な数字が使われる。「天空率」などいう言葉もそうだ。空がどれだけ見えるかの指標である。建物を何メートルか下げ、道を広くすることによって、天空率が上がり、開放的な商店街が出来上がる。商店にしてみれば、売り場面積が減少するわけだから面白くはないだろう。しかし、商店街が魅力的になるメリットは、それを補って余りあるものである。彼らを説得するためには、天空率という数字ではなく、模型を通じた体験的手法が有効だと環境シミュレーションラボのメンバーは考えたのである。

 現在であれば、こうした都市景観シミュレーションは、まさにVRの得意とするところであるが、環境シミュレーションラボ発足当時の1990年代半ば、CGにはそれだけの能力が無く、とりあえず模型とシュノーケルカメラで始まったのは正しい選択だったと思う。森ビルのVRチームは現在も活発に活動中と聞くが、その萌芽がここにある。

 シュノーケルカメラの映像は、さらに簡易型の全天周スクリーンへ投影され、本当に町角に立った感覚を試せるようになった。これが阪神大震災の前年ごろのことと記憶するから、1995年ごろであろう。東大や岐阜にCAVE型ディスプレイが設置される前、日本発のプロジェクション型VR装置がここで生声を上げたのである。

 残念ながら、設計図などの詳細な資料は残っていないが、東急ハンズで購入した実験用アングルを組み立てて作った枠組みに、何とシーツを貼ってスクリーンが作られた。作ったのはもちろん学生である。その周りに色々なところから持ち寄られたプロジェクタが並べられ、映像が投影された。立体プロジェクタなど思いもよらない高級品の時代、全天周映像のまねごとでしかなかったわけだが、プロトタイプとしての役割は十分果たしたと思う。とくにアーク都市塾で指導的立場におられた著者の師匠の石井威望先生が大変な興味を示され、同じ立場の都市工学の権威である伊藤滋先生に紹介し、さらに当時の森社長も体験と、環境シュミレーションラボと一緒にVRは大きく成長していったのである。 

 この都市模型とシュノーケルカメラは、手作りから始まった。このアイデアを某社に発注したところ2億円とか言われて発奮したのが現在も森ビルのVRチームを率いる矢部俊男氏である。彼は、銀座の一角の模型と、道路工事用の足場やDIY店で購入したドリルやモータなどを組み合わせて作ったシュノーケルカメラ移動装置から成る第一作を200万ぐらいの予算で作り上げたという。この模型はそののち成長を続け、現在の山手線内のほとんどすべての地域を含む都市模型が完成する。それまでには結局数億円が投入されることになったそうだが、初めはちょっとしたところから始まっているのが面白い。VR装置の方も同様で、東急ハンズのグッズから始まり、これが刺激となって東大のCABINや岐阜のCOSMOSへと成長していくわけであるから、研究プロジェクトは面白いのである。

 学生によく言うことだが、研究するのにある程度の金は必要である。しかし、金がなくとも、研究のプロトタイプは作ることが出来るはずで、そのプロトタイプがよければ本格的な研究費はあとから自然についてくる。このことは、著者が40歳位のとき、すなわち、環境シュミレーションラボのはじまりのころに石井先生から口をすっぱくして言われたことである。

 その当時は、まだまだピンと来なかったのは事実であるが、いくつかの研究プロジェクトをこなしてみると、まさに師匠の言う通りであったと思っている。今日、全く同じことを弟子に言っているのだが、多分、本気にはしてくれていないと思う。(先生だって、大きな研究プロジェクトをやったではないですかという顔をしている。)大事なのは、最初から予算ありきではないということである。