イリノイの洞穴(CAVE)からやってきたVR [世界VR史]

 この分野の先駆者的ジャーナリストである朝日新聞の服部桂記者は、人類最初のバーチャルリアリティはアルタミラの洞窟にあると書いた。ここまで遡らずとも、VRと洞窟の関係は深い。今回の話も先述のCABINの先祖であるCAVEの話である。

 そもそも、CABINが作られたのは、東大にベンチャービジネス育成のための施設を作るべしという文部省(当時)の施策が発端である。著者のもとに、その施設にVR装置を計画してほしいと工学部の執行部からの指示が届いたのは1995年ぐらいのことだったと思う。

 具体的にどんな装置にすべきか。幸い予算は十分にある。著者の頭に浮かんだのが、スクリーン投影型のVR装置であった。これはIPT(Immersive Projection Technology)と呼ばれるもので、1992年のSIGGRAPHでイリノイ大学が発表した4面の立体スクリーンを持つCAVEを端緒とする。これを基本として、スクリーンを5面にし、さらに大きな視野角を確保しようと企てた。4面を5面にしただけかと思う人が多いかもしれないが、実はそれが大変である。天井スクリーンをつけてしまうと床面も背面投影のスクリーンにしなければいけなくなる。CABINは床面が強化ガラス製で作られた大規模な装置である。

 さて、IPTの総本山はイリノイ大学だから、一応仁義を切っておこうということになり、シカゴのEVL(Electronic Visualization Laboratory)を訪ねたのが1996年1月のことである。そのボスがTom DeFanti 教授であった。彼は、スターウォーズでのデス・スターの攻撃シミュレーションに使われたCG映像の生みの親として知られている。写真はシカゴ近郊のイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のキャンパスである。NCSA(スーパーコンピュータ応用研究所:スパコン研究で有名なほか、Mosaicと呼ばれる初期のウェブブラウザの開発でも知られる。)の本拠地があり、そこにEVLのブランチがあった。

EVLは、先端的な映像技術の研究開発を目的として設立された研究所であり、本拠地はシカゴのダウンタウンに近いシカゴ校にあるが、CAVEなどの大規模装置は当時ここに置いてあった。

 研究所のDan Sandin 教授(下写真右端)が、我々をCAVEの置かれた研究室フロアに案内してくれた。何かの理由でDeFanti教授とはすれ違いだったと思う。研究室では、例えばスクリーンの張り方の工夫とか、CGのレンダリングのやり方とか、結構細かいテクニックまで隠し立てすることなく教えてくれた。なんだか昭和初期の航空技術者の渡米みたいだねと同行の学生と話した記憶がある。「日本から多くの訪問者が来ているが、CAVEを売ってくれという話ばかり。CAVE以上のものを作りたいという試みには敬意を払う。」と言ってくれたりしてうれしかった。それなりに相手として認めてくれたのかもしれない。

実際、その後、CABINが完成すると、De Fanti 教授がやってきて、床面の強化ガラスのスクリーンを見て、これは素晴らしいと自分のことのように喜んでくれた。ソフトはともかく、ハードについては東大の技術に一目置くようになってくれたと思う。それからしばらくして、国際ギガビットネットワーク回線を用いた高臨場感通信の共同研究が始まることになるが、この時ほど自分たちなりのオリジナリティの必要性を感じたことはない。