時間術の考察
■相場
非常に大きな乱高下を繰り返していて、方向感がつかめない状況です。
株も為替も商品も、底を打ったと思ったら急騰、と思ったら急落の繰り返し。
こういうときは静観に限ります・・・。
■コスト削減
引っ越しを機に、家電製品をオール入れ替えしようと思っています。
理由は3つあり、
1、家族が増えたことで冷蔵庫も洗濯機も手狭になってきたこと
2、自分で捨てると廃棄に手間も費用がかかるが、引っ越しのときに捨てると引っ越し代込みでやってもらえる
3、最新家電は電気代の節約になるため、10年使うことを考えれば悪くない
まあ、こういうことを考える人は少なくないので、住宅はすそ野が広く経済の波及効果が大きいと言われるんですね。
政府がもっと家を売りたい気持ちがよくわかります。。
■賃貸併用住宅
がーん!なんと工期がさらにずれこみ、完成が4月上旬になるとの連絡が!
賃貸のピークシーズンを完全に逃し、ピンチです。
今いろいろ対応策を検討中ですが、ちょっとヤバいなあ。。。
おそらく工務店(買収した親会社)とはモメると思います。
続報をお楽しみに!笑
時間は人生の一部
現在、時間術に関する本を書いており、先行して皆さまに公開していきたいと思います。
繰り返しになりますが、私は現在、多忙な妻に代わり、私が家で1歳の息子の面倒を見ています(保育園に入れず待機児童です・涙)。また、掃除や洗濯、ゴミ出しに消耗品の在庫管理まで、家事のほとんども私が担当しています。
小さな子どもを抱えるお母さんの大変さがわかるというものですが、家で仕事をしていると息子が「遊んでくれ」といってせがむので、やはり私も自分のために使える時間はあまりなく、1日の実労働は2~3時間といったところでしょうか。
それでも私の年収は2,000万円を下回ることはなく、むしろ毎年増えています。
その秘訣はやはり、限られた自分の時間をどう使うかを考え、戦略的に仕組みや習慣を作ってきたからだと思っています。
以前はサラリーマンで組織の一員として働き、次は経営者として組織を束ねる立場で働き、今は一人会社で家事育児の両立など、ライフスタイルや働き方の変化に合わせて、時間の使い方も変化させてきました。
その中で気づいたことがあります。
時間の使い方とは、イコール「生き方」であると。
自分の時間をどう使うかの判断と累積が、自分の人生を構築しているからです。
判断というのは、何をして何をしないかです。たとえば今日、フェイスブックに1時間費やしたとしたら、その1時間があればできたはずのことを捨てることになります。
つまり何かをするという行為は、何かをしない(もしくは諦める)ことであり、その判断の積み重ねが、今の自分の状態を作っているわけです。
累積というのは、今までやってきたことの積み重ねです。
たとえば、英語の学習を3年間続けて英語ができるようになった。
転職の選択肢が広がり、その結果よりポジションや収入が高くやりがいのある仕事に就けたとします。
この場合、英語の学習をしなかった人と、続けてきた自分との間に差ができるというのはわかりやすいと思います。
そして学習期間の3年間なんて、過ぎてみればあったという間であることも。
世の中には「時間はあるがお金がない」「お金はあるが時間がない」「お金も時間もない」「お金も時間もある」というパターンの人がいます。
もちろん人の価値観はそれぞれで、どれが良くてどれが良くないというのは本人が決めることですが、私はやはり「お金も時間もある」状態のほうが望ましいと考えています。
なぜなら、目の前にチャンスが通りかかったとき、「忙しくてできない」「今はそんな余裕はない」「お金がないからムリ」などと躊躇することなく飛び込めるからです。
すると、新しい世界を垣間見ることができる。新しい経験値を詰むことができる。新しい自分の能力が開花することがある。それはすなわち、自分の人生をよりおもしろく、充実したものになるだろう、と考えているからです。
そしてそれが私の考える「時間術」です。
つまり効率化を目指すとか、こま切れ時間をうまく使うとか、定時で帰るとか、スピードを速めるとかいうのは、あくまで手段であって目的ではない。
「こういう状態になりたい」「こういう自分になりたい」という目指すべき状態があり、時間術はその状態に持っていくための手段。
だから、目指す姿が違えばその手段も異なります。ということは、時間術というのも誰かの真似をすればいいという単純なものではなく、自分の価値観や働き方、生き方に合わせてチューニングする必要があるということです。
つまりこのメルマガも、あなた自身の時間術を考えるヒントに過ぎません。
それでも、今までの思い込みや先入観、固定観念や他人が作った常識やルールに縛られ、自分の時間(=人生)を失っているとしたら、それはとてももったいないことです。
そして私が紹介する事例が、そんな縛りから抜け出すお手伝いとなれば、著者としてうれしく思います。