近い将来、人は「忘れもの」をしなくなる 武田邦彦のメルマガ集中講座『国家100年の計(7) 楽しい未来を覗くと何が見えるのか?』



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◆近い将来、人は「忘れもの」をしなくなる

1990年のバブル崩壊から15年、自信を失った日本人はもともと落ち込みやすい性質の人が多いので、マスコミの報道も手伝って「暗い方へ暗い方へ」と進み、前向きの考え方や研究、それに人生設計はすっかり廃れてしまいました。でも、未来は常に明るいものです。

なぜ未来が明るいかというと、第一に「これまでの人類の歴史は常に良い方向に進んできた」ということ、第二に「人間は常によりよいものを生みだし、それを使いたいと思う」ということです。少し難しく言うと、第一の論拠は「帰納的」、つまりこれまでの経験から真実を導き出すとそうなると言うことですし、第二の論拠は「演繹的」、つまり頭脳で原因を考えるとそうなるということです。

大昔は崖に穴を掘ってその中で薪を燃やして生活をしていましたし、少し歴史が進んでも、いつ盗賊が家族を襲って可愛い赤ちゃんも含めて、家族全部が皆殺しにあうか分からないような生活が続きました。そんな昔のことを言わなくても、著者が子供のころは、瞬間湯沸かし器がなかったので多くの女の子はあかぎれで真っ赤に切れた手をこすっていましたし、夜中にトイレに行こうと思うと母屋の外にでて汚いくみ取り便所に行ったものです。風呂も家にはなかったので、冬、カゼをひいていても遠くの銭湯まで行き、それでまたカゼをこじらせたものです。もちろん冷蔵庫はありませんから、小学生の頃にはよく二列に並んで腸チフスや赤痢で亡くなった友達のお葬式に行ったことを思い出します。

こんなことがわずか50年ほど前まで続いていたと考えますと、今の日本人の生活は「王侯貴族の生活」と言ってもよいでしょう。食べるものには不自由しませんし、寒ければ暖房、暑ければエアコン、重い荷物のあるときにはタクシーと至れり尽くせりです。スマホのおかげで道に迷うこともなく、荷物は宅急便、連絡はメールでできます。やや辛いと言えば、人間関係や余りに便利になったので余計な仕事が増えるというぐらいです。

それでは近い将来はどんなになるのでしょうか?

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