同席していた白鵬と鶴竜はどうするべきだったか? 武田邦彦集中講座『日馬富士事件と日本(2)』

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◆相撲の世界に「人情」は存在するのか?事件当時の傍観者たち

民主主義でなくても先進国でなくても、さらに古代の国家でも、「人情の厚い社会」は昔からありました。そして日本もその一つでしたし、フィリピンなどの多くの国も私が知っている限りではほぼ同じような人情を感じます。

ここでいう人情とは、たとえば、お腹が痛い(癪)と蹲っている道端のご婦人を助ける(江戸時代)、日本から遠いトルコの軍艦が荒れた海で遭難したら日本の漁民が命懸けで助ける(エルトゥールル号事件、明治23年)、などのことで、苦しんでいる人がだれであれ、そんな人が目の前にいたら手を差し伸べるのが「人情」であって、格別「法治国家」とか「日本社会」などを持ち出す必要もありません。

白鵬と鶴竜は、日馬富士が貴ノ岩を殴っているときに傍観していたようです。そして、傷ついた貴ノ岩が痛がっているのに救急車を呼びませんでした。このことは、先進国とか遅れている国とか、さらには日本の文化とかモンゴルの社会などの違いの問題ではなく、「白鵬と鶴竜は人間の情を持っている人物か」という人間として基本的な疑問に関係するものです。

つまり、横綱というのは綱を締めているということから、人間より高貴な神様に近いと擬するわけですから、綱を張っている白鵬と鶴竜はみずからの行為を恥じて相撲協会に進退伺を出すのは当然のことです。それよりまずは「自分がとった行為は本当に恥ずかしかった」と公言して、そのような態度をとるべきでしょう。

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