「誰もが同じ勉強」から「その人にあった勉強」へ 武田邦彦集中講座『変わりそうな日本社会(6)』

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◆先進国なのに時代遅れ!?「人と人を比較するための試験」は必要ない

日本では当たり前の「大学受験」、先進国ではそれほど当たり前ではありません。特に先進国では、「大学に入るための資格試験」というのは一般的ですが、「どの大学に入るか?」という試験は廃れつつあります。

たとえば、ヨーロッパでは「どこの大学生」ではなく、単に「大学生」なので、冬はスキーをするために北の方のスキー場に近い大学で勉強し、夏は水泳を楽しみたいので南の大学で学ぶという国もありますし、もともと人口密度が低く、大学を出たら森の中に入るのであまり人と会うこともないので、「人と比べる必要がない」という社会で人生を送るフィンランドなどは、大学受験ばかりではなく普段の勉強から「試験」というものがあまりありません。

日本は「クラスで何番」というように「人と比べられる」のが普通ですが、フィンランドは「勉強したことをどのぐらい覚えたり、使えるのか」という自分のための試験が目的です。

国が発展途上で、しかも外国の脅威にさらされている時には、国民が一致団結して勉強し、力をつけ、少しでも優秀な人を優遇しないと外国に侵略されたり、産業がつぶれたりします。日本も江戸時代の末期に強制的にアメリカやヨーロッパから鎖国をとかれ、その後は日露戦争、第一次世界大戦まで「独立を保つために必死に教育をする」という状態でした。

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