ダースベーダ・ヘルメットを作った男と国際会議 [世界VR史]

 今回はやや地味であるが、重要な話題を紹介したい。ある技術が発達していくためには、その背景となる確固たる学術組織が必要である。技術を作り上げていく上で必要な知識が作り出され、それが共有されることはもちろんのこと、人材の育成など、種々の効果があることは言うまでもない。

 中でも国際会議の存在はアカデミアの形成において重要である。現在、VRの学術的コミュニティの中で最重要とされる国際会議はいくつかある。

 先に紹介したSIGGRAPHなどもそのひとつであるが、VRに特化した国際会議という意味では、IEEE-VRがある。ちなみにIEEEとはアメリカ電気電子学会のことであり、SIGGRAPHはACM(アメリカ計算機学会)の下にある。IEEEで最初のVRの会議が企画されたのが1993年のこと、当時はVirtual Reality Annual International Symposium の頭文字をとってVRAISと呼ばれた。日本人の我々は「ブライス」などと発音していたが、ヨーロッパの友人のなかには「ブレイ」と呼ぶ人もいた。シアトルで行われた会議の参加者は予想を大きく上回り、500名を数えた。

 写真は第1回の会議録である。スターク研究室出身の教授がワシントン大学にいたせいだろうか、著者はニューメキシコ大学のTom Caudel教授とともにプログラム委員長(Program Chair)をおおせつかった。大きな国際会議のプログラム委員長をするのは初めてで、パンフレットに載った写真を見て、ちょっと嬉しかった記憶がある。 

 さて、その記念すべき第1回会議の議長(General Chair)は、ワシントン大学のTom Furness教授であった。写真は、会議会場で当時の学生と一緒にカメラに納まってもらった。もう25年前の話、写真の学生のうち2人は大学教授になっている。

  Tom Furness教授は、VRの祖父のひとりとも言われている。彼は、ワシントン大学に来る前は、アメリカ空軍の研究者だった。1980年代の始め、スーパー・コクピットと呼ばれる、HMDを用いた新しいフライトインフォメーションシステムの開発を行っている。当時、液晶ディスプレイなどは夢物語であり、ブラウン管を用いた巨大なHMDは(スターウォーズに出てくる)「ダースベーダ・ヘルメット」などと呼ばれるものだった。このヘルメットの中には、これから飛行すべき経路、敵機の位置、敵のミサイルにより迎撃される確率が一定以上の領域などが表示された。このシステムは、ニンテンドー・コクピットなどとも言われ、今ではゲームなどで当たり前であるが、その原型がここにある。

 第1回VRAISがなぜシアトルだったかといえば、ワシントン大学に彼の研究室、Human Interface Technology Laboratory(通称HITラボ)が設立されたからである。当時、HITラボはできたばかりで、ワシントン大学のキャンパスに、何台かのトレーラーハウスが搬入され、そこで活動を開始していた。もちろん数年後には立派な建物が完成するのではあるが、米国の研究組織づくりの早さには舌をまいた。空き地にトレーラーハウス数台であれば、直ちに研究室が立ち上がる。

 東大にVRの研究施設であるIMLが組織されるのが1997年になってからである。日本で研究組織を作るとなると、場所をどうする、建物はどうだなど、内容よりは入れ物の議論が始まってしまう場合が多々ある。こういう米国流ダイナミズムは大いに学ぶべきであろう。それにしてもトレーラーハウスとはいいアイディアだ。

 ただし、日本で誇れることもある。実はこのVRAISよりも前、世界初のVRに関する国際会議ICATが日本で開催されている。この話はまた後にしよう。