【他人をバカにすることで生きる男たち――㉓有給休暇は「まとめて取る」が世界基準って本当ですか?】
(前号から続いています)
子は親から、社員は会社から、「大切にされている」というメッセージを肌で感じたとき、「私の生きている自分世界は信頼できる。信頼できる人たちに囲まれている」という、SOCの土台となる確信が熟成されるというお話をこれまでしてきました。
今回は「今」の日本についてです。
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本当にアントノフスキーが指摘するように、日本人のSOCは高いのでしょうか?
私は、“かつての日本人”のSOCは高かったと考えています。「今」ではなく、「かつて」の日本人です。
たとえば、終戦直後の日本人が貧困から立ち上がる姿を描いた名著『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー著)からは日本人のSOCの高さを存分に感じとることができます。
「私はいつも、普通の人々の声を探していた。エリートでない人々の声に耳を澄ませていました」――。
こう語る米国人歴史学者のダワーのまなざしは、虚脱と絶望に襲われながらも嘆き続けることを止め、「希望」を胸に踏み出す日本人の姿を明確に捉えていました。
敗戦という極めて大きな困難に遭遇しながらも、日本人は「憎悪」や「卑屈」というネガティブな感情に埋没せず、敗北を抱きしめ=敗戦を受け入れ、平和な世界への改革に挑んでいたのです。
当時の日本人の「希望」は、私たちの日常にも生きています。「人を大切にする世界の国々と肩を並べたい」――。そんな希望の下、制定されたのが「1日8時間週40時間労働」「週1日休息日(原則日曜日)」「年次有給休暇」を定めた、労働基準法です。
1947年に労働基準法を決める会議で、中心的役割を果たした寺本廣作氏(労働省課長)は、参議院議員時代に著した自伝 『ある官僚の生涯』 (非売品、1976 年) の中で、当時の様子を次のように語っています(※文中の「彼」とは寺本氏本人のこと)。