【無料公開中】 謝罪とは、火を消さない火消しの仕事

今年のように有名人の謝罪会見が続く年も珍しいと思いますが、そんな芸能人や政治家など、有名人が謝罪会見を開くとコメントを求められるようになりました。ゴーストライター事件のころからコメントはしてたけど、芸能ニュースや社会ニュースで取り上げられるような会見のたびに、ほぼ必ずワイドショーやニュースに呼ばれることが今年から急に増えたのです。あ、だから勝手にテレビに向かって一人でぶつぶつコメントしてるおじさんではありませんので、念のため。

・謝罪のプロじゃなく、コミュニケーションのプロです(泣)

だいたいテレビで求められるのは「この謝罪は何点ですか?」という謝罪の評価と点数。特に今年を象徴する謝罪とその後日談が延々今も尾を引いているベッキーさんの件では、「謝罪として成り立っていない」と当初から厳しいことを申し上げていました。だもんで、芸能人を批判する人とか、謝罪会見を評価する人、と思われてるかも知れません。きっと芸能界から嫌われてるんだろうなーと、子供のころから芸能ニュースを見て育ったテレビっ子(若い人、知ってる?この単語)のわたくし、思い悩んだりもしています。

でも本当は逆なんです、本当の私の仕事は。スキャンダルやゴシップへの批判がこれ以上大きくならないように抑えることが本当は私の役目です。有名人を批判する仕事ではなく、謝罪などのコミュニケーションを成功させることが仕事という意味です。コミュニケーションの専門家・コミュニケーション教育の専門家として、ビジネスパーソンの方々や学生がどうすれば効果的なコミュニケーションができるかとか、全然シャベリに自信のない人がいきなりプレゼンしなきゃならなくなってどーしましょという時に、「どーにかさせる」ことが仕事なのです。

だからテレビでも「謝罪のプロ」って紹介されますが、一応ダメもとで、いつも「コミュニケーションのプロ」か「コミュニケーションコンサルタント」にして下さいと泣いてお願いしたところ、最近はそこそこの割合でそのようなスーパーを出していただけるようになりました。

私は謝罪を火事にたとえますが、火事が起こってからでは遅いのです。火事にならないよう、火の元に気を付け、発火しそうなものと燃え上がりそうなものは一緒に置かず、それでも火が点いてしまったらいかに初期消火に徹するかということをアドバイスしているのです。



・江戸火消しは火を消さない

まといを振り回す町火消し。いなせな江戸っ子として時代劇で描かれますね。江戸時代の消防ってどうやったかご存知でしょうか?今、火事になれば素早く消防車が駆けつけてくれ、その平均時間は5分くらいだそうです。防災訓練で体験した人ならわかるでしょうが、人など吹っ飛ぶくらいの勢いで放水が行われ、それも一台ではなくわらわらとたくさんの消防車がかけつけてくれます。

でも江戸時代、そんな超強力消防ポンプなどありません。ひねれば出てくる水道もないし、まして消火栓もない時代。そもそも消防車無いから5分じゃ無理だし、良く考えれば電話がないので119番もできません。そんな時代に火消しがやる仕事とは何でしょう?

それは家の取り壊しです。火を消すのではなく火が延焼しないよう、火事の周囲にある建物を壊して今以上に火がまわらないようにするのが江戸時代、火消しの役目だったそうです。私は小学生のころ、この江戸火消しの話を学習雑誌で読み、火消しなのに火を消さないなんて!といかんとも納得いきませんでしたが、大人になり、リアルな災害や火事に接することで、今はとても合理的なシステムだったと理解できるようになりました。

この火を消すのではなく、延焼を食い止めるという発想。これこそ謝罪コミュニケーションの要諦といえます。消火放水がどれだけ強力でも、燃え上がる火事の炎を消すのは簡単ではありません。燃え上がって炎上(文字通り!)するスキャンダルやゴシップは、マスコミ報道だけでなくインターネットという燃料を得て、どんどん燃え広がるようになったのです。外国の山火事が、一旦起きると何日も燃え広がって、軍のヘリコプターや消火剤ですら焼け石に水のようなニュースがある、アレが今の環境といえます。



・スーパープレゼンより厳しい、極限のコミュニケーション

つまり謝罪代行などでは追いつかないのが、今の有名人の皆様が置かれているコミュニケーション環境なのです。火事を出してしまえばボヤで済んでも被害は出ます。出さないに越したことはありませんが、それでも火事原因の1位は放火だそうで、自分自身が何にも悪くなくとも類焼を浴びることもあります。家族だったり組織の同僚部下上司だったり、会社員であれば仕事上のトラブルで、自分自身は何一つ悪くなくとも責任を任されることがいくらでもあることでしょう。

謝罪は極限のコミュニケーションです。有名人がご自分の仕事である芝居や歌、パフォーマンスを見にわざわざお金を払ったり、テレビを視聴したりするのとは真逆の人を相手に行うコミュニケーションです。敵対的なオーディエンス、またその前に立ちはだかるマスコミという、いかにしてアラをあばこうかという意欲まんまんの相手に対して何らかのメッセージを送るのが、謝罪コミュニケーションなのです。

スーパープレゼンなんかよりはるかに厳しい環境で、しかもスーパープレゼンと違って希望しなくとも誰にでもそこに立つ、いや立たされる可能性があるのが謝罪コミュニケーションなのです。

謝罪も含めて、身近にあるコミュニケーションの向上をこれからも語るつもりです。あとマスコミの皆さん、プロレス会場で実況席の後ろでピースサインやって若手につまみ出されたコドモがそのまま大きくなった私、テレビやラジオに出るのは好きなので、これからもお声かけ下さい。点数でも何でもつけますよ(オイ!)